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ナルチスとゴルトムント  カーテン・コール

「知と愛」 「ナルチスとゴルトムント」の
他の方達のブログをほぼ全部読ませて頂きました。
やはり最後のナルチスの愛の告白で泣く方が多いのですね。
私も目の奥が熱くなります。前はナルチスの気持ちを思って。
今はナルチスを思いながら苦労を重ねたゴルトムントが
ナルチスの言葉でやっと報われた、ゴルトムントの
心の内に泣けます。

舞台には幕が閉まっています。舞台の下のオーケストラ・ピット
(オーケストラ・ボックス)には管弦楽団と合唱団がいます。
本当は合唱団はボックスでは歌いませんが、今日はお願い
します。
幕を上げずに幕の合わせ目から皆さんが出て来ます。
合唱団がグレゴリウス聖歌を歌い始め、マリアブロン修道院生達が
出て来ました。ムント君の初めての授業の後で喧嘩してしまった、
夜中にこっそり抜け出して村の農家に一緒に行ったアドルフと
仲間達、2人の少女(1人はムント君に口づけした)達も出て
来ました。みんなが幕の中に入ると、替わって水車屋、門衛の
助修士さん、修道士さん達全員が姿を見せます。
音楽がポリフォニー(多声音楽)に変わりました。
ダニエル院長を真ん中にアンゼルム神父、マルティン神父が
3人で外に出ます。(マルティン神父は紹介致しませんでした)

トゥロヴァトーレ(トルヴァドール)の音楽です。
黒髪のリーゼが微笑みながら1人で現れました。
音楽はバッハの「農民カンタータ」に変わりました。
リーゼと交替で力強い農婦さん達の登場です。

その後に騎士を真ん中に金髪の2人の娘、リディアとユーリエ、
曲はアルスノーヴァで。
ハンスが快活に出て来ました。ハンニバルとブレスの手綱を引き、
犬も登場です。馬丁さん、料理係。
彼等が中に入ると、

ムント君がお手伝いした妊婦さんと助産婦さん。
交替で、ヴィクトルがにこやかに1人で現れ、舞台中央で跪き
お辞儀をした後で投げキスなどしながら退場します。
農婦さんのクリスティーネが出て来ました、その夫と村人。
クリスティーネは命の恩人ですもの、ムント君、仕切れない程
感謝しないと!

水車屋の娘さん、暫くの間共に旅した人達(ムント君がお手伝い
しながら)が現れ、その後、おばさん、ここを省略してしまったの
ですが恋人同士の男の子と女の子、女の子に言い寄ってムント君は
喧嘩を売らてしまった。フランチスカ、眠っているムント君の顔を
柳の小枝でくすぐり、温かな牛乳を提供してくれました。

替わってボニファチウス神父。

音楽はワーグナーの「マイスタージンガー」です。中世の音楽では
ないですけどね。無礼講です。
マイスター・二クラウスと1人娘のリースベト、ちょっとみっともない
マイスターの家のお手伝いさん。
彼等と入れ替わりに出て来ますのは、

音楽は「こうもり序曲」「皇帝円舞曲」大晦日ですので。
ますます中世から程遠い曲ですが、無礼講です。

一段と拍手が大きくなりました。ゴルトムントが1人で現れました。
嵐のような拍手に少し呆然としています。胸に右手を置いて何度も
お辞儀した後にナルチスを手招きします。
ナルチスがやって来ました。軽く会釈してゴルトムントと手を携えて
鳴り止まぬ拍手を受けます。

幕がすっかり開き、全員が揃っています。ヘッセも舞台上に呼ばれますが
上がろうとせず、客席からそっと拍手しています。
翻訳家の方達もね、日本とイタリアのクリスティーナ・バセッジョさん
(この方、女性です)達も拍手しています。
私もひっそりと隅の方で拍手を送ります。

登場して頂いて有難う。
そして読んで頂いて有難う。
元旦はラデツキー・マーチで!





ご挨拶と御礼

余す所わずかになりましたね。
4月に始めたブログもおかげ様で何とか続けることが
出きました。好き勝手な事ばかり書いているのですが。
コメントも沢山書いて頂いてどうも有難うございました。

Pomさんは会社での必要から英会話をなさる、ということで
外資系企業でお仕事をなさっているのでしょうか、
きっとお忙しいのでしょうね。
沢山のコメントをどうも有難うございました。
私の知識の幅が広がり、花を添えて頂きまして
感謝しております。
又、こりずにお出で下さい。ナルチスとゴルトムントと共に
お待ちしています。
ご主人様と猫様にどうぞ宜しく。
良いお年をお迎え下さい。

電影フリークス温故知新の醒龍さんのサイトに今朝伺いまして
御礼を申したかったのですが、どこにコメントしたら良いのか
見つかりませんでした。金剛さんの情報をどうも有難う
ございました。
醒龍さんは心魅かれる文章力ですね。プロの方なのでしょうね。
来年も良いお年でありますように。

呉二さんもどうぞ良いお年を。又、遊びに伺います。
呉二さんの所もコメントの仕方が少々難しいです。私がトロイ
だけかしら。

なおこさんの所にも今朝ご挨拶に伺ったのですが、コメント欄で
成功しませんでした。カテリノフ先生のサイトに書かせて頂きたかった
のです。私はミンチャレッリ先生のファンだったのですが、
congiuntivo接続法の使い方が明確になったのは
カテリノフ先生のおかげです。80年代、先生の教卓はワインと
煙草でにぎやかでした。飄々としたブルガリア人、どこにでもいる
小市民といった風情ですが、彼は偉大な言語学者だと思います。
来年もどうぞ宜しくお願いします。

むーしぇさん、更新なさってよ、楽しみにしているのだから。
でもきっとお忙しいのでしょうね。社長と翻訳家を兼ねています
ものね。御身体に気をつけてお仕事に精を出して下さい。
更新したべックさんに会いたいな。

東方異人さん、沢山コメントをして下さって有難うございました。
おかげで知識が豊かになりました。
日本でお迎えする久々のお正月ですね。沢山召し上がって
来年は実り多い年となりますように。
お時間があったら又、いらして下さい。熊熊君にどうぞ宜しく。

Pomさんもお時間がある時に是非どうぞ。

読んで下さった方達にも御礼致します。
大したブログでないのに来て頂いて有難うございました。
不特定多数か少数か分かりませんが、又いらして
コメントなさって下さい。
2013年、世界中の、1人1人の良い年になりますように。
特に東日本の震災に遭われた方達に来年が良い年となりますように。

ナルチスとゴルトムント 肖像画3

彼の描いたデッサンをもう1度見に行く気にもならずに
噴水の水槽桶に腰掛けて、菅から流れ出てくる一筋の
水を見つめていました。揺れる水の鏡に映った自分を見た。
もう修道院のゴルトムントではない、リディアのゴルトムント
でもない、森林の、荒野の中の自分でもない、
人間は立ち止まることなく歩んで変化し、消えて行く。
芸術は死滅して行くものを救う。
マイスターの聖母のモデルになった女性は恐らく年老いたか、
あるいは死んでしまったかもしれない。マイスターも死んで
行くだろう。でもあの像は100年後、それ以上、微笑み
続けるだろう。

マイスターがやって来ましてデッサンを見ながら、あちこち
歩き回り何やら考えているようです。
「見習い期間は普通4年間で、勉強するために父親が授業料を
払う」ムント君は慌てて上着の縫い目を破いて1ドゥカーテンを
取り出しました。二クラウスは呆れて笑い出しました。
「それは君のためにしまっておけ、見習いは13、4から
大きくても15までだ、マイスターのために時間の半分は奉公人か
こま使いとして働く。私達の組合(ギルド)で髭の生えた見習いは
見たことがない。それに家に見習いの子を置きたくないんだ。」

「僕を弟子にしてくれないなら、どうしてそういう事を長々と
話すんですか?」と怒鳴るムント君、
ムント君は時々辛抱強くない。昔、ナルチスにも興奮して
叫んだことがありました。マイスター、動ぜず「私は君の要求を
1時間考え続けた。今度は君が私の話を我慢して聞きなさい。
デッサンはいいよ。欠点はあるが、それは取るに足らない。
じゃなければ半フィオリーノ上げて追い返した所だ。
君は芸術家になるべき人間だ、君を助けて上げたい、
町に住んで私の所へおいで、何か得るものがあるだろう。
取り決めも契約もなしだ。仕事部屋には割ってもいい切り株と
彫刻刀があるよ。」
興奮と混乱の中で感動し、又叫ぶムント君、
「心から感謝します!」

これで10章が終わりました、ゴルトムントさん。
ゴルトムントはおばさんに照れたように笑います。
おばさんも眩しそうにムント君を見つめます。
長かったというか書き切れなかった、所も多分にありますけどね。
拙いブログに出て頂いて有難う。

そして読んで下さった方達に有難う、感謝致します。

ナルチスとゴルトムント 肖像画2

今日は26日でしてイタリアは今日も休日です。
聖ステファノの日です。
昨日25日が日本の元旦に当たりますでしょう。
家族で祝う静かな静かな祭日です。
私はお招ばれしてバクバクと昼食を頂くだけですが
主婦の方達には忙しい日ですね。
定番はカペレッティ(小さなトルテッリーニ)を入れた
ブロード(スープ)とカッポーネ(鶏さん)です。
どの家庭でもクリスマス・ツリーやプレセピオ(キリスト
誕生時のミニチュア像)を豪華に飾りますので、これは
イタリアでブログを書いてらっしゃる方達のお写真などで
御覧になって下さい。

「ナルチスとゴルトムント」にクリスマスという言葉が
出てきますが、クリスマスの情景は語られてはいないですね。

ゴルトムントは大きな紙に木炭でナルチスをデッサンしました。
無心の中の彼は、感謝を込めた恩恵の御礼のように描き
終えました。
ムント君の後ろでデッサンを見ていたマイスター・ニクラウスは、
彼を脇に押しやり慣れた手つきで紙を取り上げました。
慎重に鋭い青い目で一望します。夢から覚めたムント君は
期待を込めて心配そうにマイスターを見つめます。
「これは誰だい?」
「友人です。若い修道士で学士です。」
「宜しい、手を洗って昼食にしよう。」
お手伝いさんが豚肉とレンティッキエ(レンズ豆、大晦日の
イタリアの定番で、これ食べるとお金が沢山入って来るの
ですって)と白パンを持って来ました。

前の晩に見た二クラウスの1人娘、リースべトがそこに
いました。背丈がマイスター程あり内気で近寄り難かった。
ガラスで作られた鐘の中にいるようで、見知らぬ男に一瞥も
しませんでした。
食事が終わり休憩に入ったマイスター、ムント君は中庭の
水飲み場(噴水)で心配しながら彼の答を待ちます。


ドビュッシーのローマ滞在

クロード・ドビュッシー(1862年8月22日~1918年)
今年生誕150年です。おばさんの好きな音楽家でして、
お話することが山ほどあるのですが、23、4歳の頃の
ローマ滞在に絞らせて頂きます。
ローマ賞を2度受賞し、3度目でローマ大賞を受賞し、
(ローマ賞というのはフランス国家から与えられる賞で
2、3年間ほどローマのヴィッラ・メディチに滞在して勉強
出きるのです。17世紀からあったそうで、音楽もそこに
加わったのは1803年で今ではもう存在しません)
ドビュッシーの当事は審査員長がグノー(1818~1893、
シャルル・グノー、バッハの平均律クラヴィーアに載せた
アヴェ・マリアが有名ですか)でした。
カンタータ「放蕩息子」で1等賞となるも、何故かあまり
ローマに来たがらず延び延びにしていました。
親しかったヴァニエ夫人と離れたくなかったのかも知れません。

まあ、でもやって来ましたよ。ヴィッラ・ボルゲーゼの
ヴィッラ・メディチに。(メディチ家の別荘、お屋敷)
「ヴィッラ・メディチに着いた時、私は私自身を古代の神々の
寵児だと信じた」 しかし少し経つと天候と旧友達への不満
ばかり言い出す彼。彼等は堅苦しくて身分に打ちのめされている、
と。そこは国際的なホテルで自由な学校で兵営のようだと。
「ローマ賞制度をけなすつもりはないですが、」とか
「ローマのすばらしさにも拘らず、僕には大きな牢獄のように
思われ、」なんてヴァニエ氏に手紙でさんざん愚痴ります。

働いて節約してやっと憧れのイタリアにやって来たヘッセに
比べると大分贅沢に見えますけどね。ヘッセは北から入って
トスカナ、ウンブリアまでを旅行した。
幸福な旅行だったと思います。

クロード君、幸いに知り合いがフィウミチーノの別荘を貸してくれて
大好きな海を心行くまで眺めることが出来ました。
フィウミチーノというのはフィウミチーノ空港(レオナルド・
ダ・ヴィンチ空港)のある所です。海も近くにあります。
後年、交響詩「海」を創る下地になったのかもしれません。
おばさんのお薦めです。
「海」 それから「ペレアスとメリザンド」から第2幕2場の後の
間奏曲。続いて第3場。海の風景です。
交響詩「海」は葛飾北斎の「神奈川沖波裏」からインスピレーションを
受けたとも言われています。

パレストリーナ、ラッソのミサ(対位法音楽)に感動し、
ミケランジェロに圧倒され、オルヴィエトの大聖堂はシニョレッリの
「公審判」に驚嘆したそうです。

留学作品として書いたのは「ズュレイマ」「春」でした。
ドビュッシーお薦め品を挙げておきますので、お時間と
興味がありましたら是非どうぞ!

管弦楽曲
神聖な舞曲と世俗の舞曲(ハープと弦楽器)
牧神午後への前奏曲

ピアノ曲
ベルガマスク組曲(月の光など)  版画  子供の領分
映像第1、第2集

サティ(エリック・サティ 1866~1925)の
3つのジムノペディをドビュッシーが管弦楽に編曲
 ジムノペディ1曲目は日本でもイタリアでも御馴染みで
 コマーシャルBGMにもなっていますね。

勿論他にも沢山の曲があります。私よりももっとご存知の方も
いらっしゃると思います。

続 ベートーヴェン

2週間位前にアンドラス・シーフ(ハンガリーのピアニスト)が
ラジオでベートーヴェンについて語りまして、
「熱情」(アパッショナータ)を納得を持って弾いたのは
40歳過ぎてからだと言ってました。それ以前に勧められたけれど
弾けなかった。「熱情」は10歳、11歳の子供にも弾ける、
でもそれはシェイクスピアの「リア王」を10、11の子供が
演じるようなものだと。

イタリアのジャーナリストが(イタリアでは評論家というのは
滅多に見当たらないです。音楽の場合マッシモ・ミーラなどの
ジャーナリスト、あるいは演奏家が音楽を論じています)
ミーラではない、あるジャーナリストがベートーヴェンを
コメントしまして、「芸術というのは核爆発だ、
ベートーヴェンは原子爆弾を然るべき所で爆発させている、
(譬えが怖ろしいですけどね)
他の音楽家は爆発させるべき場所が曖昧だ」
おばさん、これは大いに賛同します。

ベートーヴェンのお薦め品を挙げておきますので
お時間と興味のある方は是非どうぞ!

交響曲第4番、第6番(パストラーレ)
ロマンスト長調、へ長調
ヴァイオリン協奏曲OP61(ヴァイオリン協奏曲は1つだけ)
ピアノ協奏曲第5番(皇帝)
ピアノ・ソナタ全32曲(全てお薦めです)
荘厳ミサ(ミサ・ソレム二ス)
晩年の弦楽4重奏曲(OP127~133まで)
これ以外にも沢山すばらしい曲があります。
もうご存じで私以上に知ってらっしゃるかもしれませんね。

ベートーヴェンは晩年は深いカトリック信者でした。
彼の言葉(耳が聞こえなくなってから)

  私は1人の人間よりも1本の木を愛する。

  1本1本の木が私に語りかけている
  Santo Santo Santo!(聖なる神よ)

  神よ、森の中で私は幸福だ、各々の木があなたについて
  語る。神よ!何というすばらしさ!
  森と丘の中で静けさがあなたに奉仕している

  私は名誉のために作曲したことは1度もない。
  内面にあるものは外にあふれ出なければならない。
  私の創った音楽が苦しんでいる人達の勇気になるなら! 

  苦しみを突き抜けて喜びに至れ(これは有名ですね)

  さあ、みんな、喜劇は終わった!

  残念だ、飲るには遅すぎる!(贈られたワインを前に)

ベートーヴェン 卵小噺2題

師走も半ばになりました。第九の季節ですね。
今日15日、あるいは16日、どちらか定かでは
ないのですがベートーヴェンの誕生日です。
(1770年ボン~1827年ウィーン)

自慢のコーヒー沸かし器で極上の豆を挽き
コーヒーを淹れてベートーヴェンの朝は始まりました。
堅パンをひたした肉スープが好物だったとか。
10個(!)の卵で作ったオムレツ。
卵には尋常でない思い入れがあり、家政婦さんの買って
来た卵を1つずつ窓辺で吟味し、1個でも匂いの良くない
のを発見したら、それは大変!
逃げそこなった家政婦さんの背中は投げつけられた卵で
火山噴火のよう。 ザイフリート(指揮者)の話から

鱸(すずき)、鯉、川魚、牡蠣、鱈などの魚料理もお好きで
大きな魚を友人達と分け合って食べるのを楽しみに
していたのだそうです。 ブロイニング(幼馴染)の話から

家政婦さん達に出て行かれてしまった時には(そら出てくわな)
自分で料理して客人達をもてなしたとか。ひどい料理だった
そうです。
酒飲みではないけれどワイン、ビールを結構よく飲んだそうです。

ヴァイオリン教授のベームがある時彼の家に招待され、
ご馳走になった折にお皿の上の幾つかの生卵が腐っていた。
ベートーヴェンはそれを手に取ると窓から往来に投げつけた。
2個目、3個目を投げつけた時に往来で怖ろしい騒ぎが
起こりました。叫びと悪態、やがてホルンを吹き鳴らして
巡察隊が出場。
ヴァイオリニストは生きた心地がせずに、しかし耳の聞こえない
ベートーヴェンは悠々と食事を済ませると弦楽4重奏曲に
着手し始めたそうです。

ところでベートーヴェンは何気に松本清張と似ていると思うのは
私だけでしょうか。向田邦子さんが「父の詫び状」の鼻筋紳士録
という目次の中で松本清張とベートーヴェンを同じグループに
入れていましてこの本には笑いました。
こちらに持って来た本で大声で1人で笑ったのは「父の詫び状」
と漱石の「猫」です。夏目漱石は落語にも精通していたのだそう
ですね。近寄り難い文豪というか、その文学は人間の心の機微を
精密に描いたメロドラマと申したら怒られますかね。

書き切れなくなってしまいました。
話が横に逸れてしまってすみません、
漱石先生、清張先生、邦子先生
今書き終えます、ベートーヴェン先生。

下位英一先生

今朝、と言いましても日本ではもう10日の夜中
です。こちらでは晩です。
今朝、ゴルトムントを訳しながら
Professore Shimoiを思い出したり致しました。
年が分かってしまいますね。

おばさん、高校1年生の時に生意気にも下位英一先生の
イタリア語を教わりに高田外語学校に通ったり致しました。
1、2ヶ月だけですけどね。
かじったというよりも授業を眺めただけでした。
下位先生は当事東京外語大の教授(多分、筆頭教授でした
でしょう)で、もうお亡くなりになったと思います。

イタリア語がまだ良くは知られていなかった頃です。
イタリアの女性は結婚後もSignoraと言われるより
Signorinaと呼ばれるのを喜ぶ、と
授業中にお話しておられましたがね、
現在ではあまり使う呼称ではないです。
時と場合で使いますが、Signoraの方が幅が利く、
こちらの方が尊称です。

イタリア人は血の滴るようなビーフステーキを食べる、って
ミディアムなんぞと洒落た食べ方よりも、大概の所
よくよく焼き込んだお肉を召し上がるのがお好きです。

そういう細かいことは実はどうでも良いのでして
揚げ足を取るみたいですしね、
極、たまにですが下位先生をふとした時に思い出します。
豊かな声、美しい発音でした。
人格から来るものだと子供心に感じ取ったり致しました。
先生が入ってらして座り、そこにいるだけで品格と
人柄から来るのでありましょう豊かさを感じました。

今朝はドイツ語を訳しながら思い出しまして、何となく
気持ちが一杯になりました。
私の思い出の1部分なのでしょう。
下位先生だけでなく沢山の先生を時々思い出します。
先生というよりも人間として。
で、行き着く言葉は有難うとなります。


ナルチスとゴルトムント 肖像画

1時間程、彼の前で働いている彫刻家を凝視して、
彼を探っているうちに、別の姿が彼の心の中で
輪郭を描き始め視覚となって明確に見えて来た。
彼が他の誰よりもよく知っている、深く愛して
賛嘆している男の姿だった。
相違のある部分に大変手こずりもしたが、
その姿は食い違いがなく途切れがなかった。
それは彼の友人のナルチスの姿だった。

調和と充実の中で愛する姿はより現実の姿となり、
より澄明に彼の内面でその仕組み(構造)が
明らかになった。
精神によって形造られた高貴な顔、
美しく結んだ口元、少し悲しげな眼は
力に溢れ洗練されており、徹底して
精神に捧げられていた。
細い肩、長い首、繊細で優美な手は
精神の理想化の闘いのために生き生きとしていた。

修道院を去った時から、彼の心の中でこんなにはっきりと
友の完全な姿を描いて捉えたことはなかった。

意志と関わりのない夢の中のように
しかし内面の必要性と準備とに動かされ
ゴルトムントの愛情と敬意を込めた指が
心の中の姿を辿って輪郭を描き、慎重に
デッサンし始めた。

彼はマイスターを忘れ自分を忘れ、居場所を
忘れた。
部屋に射し込む陽の光が少しずつ傾くのに
気がつかなかった。

      訳; しゃしゃり出て来て
         訳したがるミルティリおばさん
         でも誰が訳しても
         上手下手はあるけれどこんな風です。

ナルチスとゴルトムント マイスター・ニクラウス

「マイスター・二クラウス? 誰?誰?
どこに住んでるの?ご存じなのですか?」
興奮して激したムント君はマイスターの情報を
得ました。
神父は微笑みながら去って行きました。
ゴルトムントは長い間、苦悩と優しさをたたえた
聖母の前に立ち、心が締め付けられていました。
1つの目的に到着した!
ボニファチウス神父の挨拶を持って勇んでマイスターの家へ
駆けつけます。司教の町への美しい楽しい道を
足に羽がついたように。

マイスターの家を確認した晩、窓からもれる灯に垣間見た
彼の美しい1人娘。
その翌朝マイスターの家を訪ねました。
仕事用の前掛けをかけているマイスターは40、50の
背の高い髭のある人です。
鋭い水色の目でムント君を不機嫌に見ます。

「そんなに怖ろしい目で見ないで下さい」と、聖母に心を打たれた
旨を話し「あなたの弟子にして下さい!」
ゴルトムントのあまりの熱心さに折れたマエストロは
「君は本気に見えるのですぐには追い返せない、
一つ何かデッサンしてごらん、時間は沢山ある、
君の適性が何か分かるだろう。」

ムント君は向うを向いて仕事しているマエストロを愛情ある
好奇心で観察していました。粘土をこねている彼の手は堅固で
高貴で驚くべき魔法の力を持った手でした。貪欲と信仰、
確実さと熟練の祝福された手でした。
容貌と手がこれ程対峙していなければ彼をデッサンしたかった、
うっとりと魅了されるゴルトムント。

プロフィール

Author:ミルティリおばさん
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イタリアに住むこと30と数年、
猫と2人暮らしのおばさんです。
翻訳フリーランサーです。
翻訳なさりたいテキストをお持ちの場合
メールにてお知らせください。
英語とドイツ語はネイティブ翻訳者との
コラボです。

2011年来、若かりし頃のジャッキー・チェンに夢中です!
お気が向いた時にいつでもいらして下さい。
お気付きの点があったらコメントして下さい。
あなたのお好きなことも自由に書き込んで下さいね!

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