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お誕生日おめでとう! マエストロ

今日は何の日かというとヴェルディのお誕生日です。
10月10日、夜9時です。
日本は11日ですね。
お誕生日おめでとう、
ナブッコの成功もおめでとう!

ヴェルディは新しい、ヒーローに、旗手になりました。
ドニゼッティをして「世の中は新しいものを欲している」
と言わせしめました。
ナブッコはリハーサル時からも騒然としていました。
初日には音楽が始まるとスタッフ達が、道具方さん、美術、
照明さん、沢山の職人さん達が口をポカンと開けて
舞台の袖から仕事を忘れて眺めていました。
(オペラが進行しないではないか)

ナブッコの成功により、次から次へと仕事の依頼が押し寄せて
来ました。一作書き終わらぬうちに次が入って来る。
1843年~49年この間を anni di galera
強制労働期間と自ら言っています。
ロッシーニは9日間で「セビリャの理髪師」を書き、
ドニゼッティは右手左手にペンを持ち、2作同時に作曲したのだ
そうですが、ヴェルディは出きないでしょう。
とにかく真面目な人ですし。
この頃の作品は「ロンバルディーアの第一十字軍」「エルナー二」
「ジャンヌ・ダルク」「マクベス」などです。
忙しかったせいもあるのでしょうね、
マクベスはねぇ・・・
終幕のマクベスのレチタティーヴォと続くアリアは確かに
struggente 気持ちが締め付けられますけどね。
オペラという音楽形式として御覧になってみて下さい。
見せることに関しては、舞台芸術という観点からは
やはりヴェルディはすごい!

オーストリア軍にも名が知られたヴェルディは、ある時
長官から彼の軍のために行進曲を依頼されました。
ヴェルディ答えて「将軍様、あなたの軍の撤退行進曲なら
書きますよ。」

1851年~53年に書いた「リゴレット」「イル・トロヴァトーレ」
「椿姫」この3部作でヴェルディの名が不動になりました。

ヴェネツィア・フェニーチェ歌劇場での「椿姫」の初演は不成功だった、
にも拘わらずオーストリア軍の上官達が彼を一杯のヴェルムート
(お酒)に招いた。
ヴェルディ「有難う、美味しいです。」 上官はちょっと上から
目線で「もっといいのをトリノで飲もう!」
(上官はヴェルムートに椿姫を掛けているのですね)
ヴェルディすかさず「トリノ? ヴィットーリオ・エマヌエーレ
(イタリアの王)は裕福なので彼の捕虜達にも、もっといいのを
飲ませますよ。」
おう、よく言った。ペッピーノ!
この手の諧謔はイタリア人の得意とするところです。
機知にあふれていますのね。

Vittorio Emanuele Re D'Italia
ヴィットーリオ・エマヌエーレ・レー・デイターリア
大文字、頭文字だけ抜き取れば VERDI になりますでしょう。
W VERDI(ヴィーヴァ・ヴェルディ) この文字がミラノと
ヴェネツィアの町中の壁に、いつも書かれて(落書きされて)
オーストリアの左官屋さん達を大いに働かせたそうです(消すのにね)

 ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡはトリノ王宮に住んでいた
 サルデーニャ出身の王家の子孫です。
 ベネト、ロンバルディーアはその当事ハプスブルグ家
 (オーストリア軍)支配下にありました。
 
Secre

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Author:ミルティリおばさん
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イタリアに住むこと30と数年、
猫と2人暮らしのおばさんです。
翻訳フリーランサーです。
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英語とドイツ語はネイティブ翻訳者との
コラボです。

2011年来、若かりし頃のジャッキー・チェンに夢中です!
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