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Heiliger Franz  San Francesco 聖フランチェスコ

„Manch einer, dieses lesend, mag ebenso lachen und seinen Kopf als über einen Narren schütten, wie des Franziskus Freunde taten. Seine Sehnsucht aber hatte das gefunden, wonach sie dürstete und was ihm nicht Weisheit noch Kirche noch Weltlust zu geben vermochten. Indem er nämlich mit Schmerzen sich dessen erinnert hatte, dass der Mensch nichts anderes ist als ein Pilger und flüchtiger Gast auf dieser Erde, irrend zwischen Leben und Tod und keiner Habe je gewiss, warf er mit erneuter Liebesbegierde sich an Gottes Brust und trachtete von nun an, allein aus der Einfalt und Glut seines Herzens den Weg zum Leben finden. […] Dieses tapfere Vertrauen ist es, was ihn heiligte und zu einem Tröster und Erlöser für Unzählige gemacht hat, dass er aus seiner Not sich keinen anderen Führer als Gott selbst erwählte.“


L′incipit del prologo
Sulla Terra hanno operato in tutti i tempi grandi uomini che non hanno avuto come scopo il procurarsi gloria, con atti d′eroismo o acclamate imprese letterarie. E tuttavia questi grandi spiriti hanno influenzato la vita di numerosi popoli e intere epoche storiche e la loro fama è stata universale, tutti parlavano di loro con trasporto e desideravano conoscerli da vicino. Il loro nome e notizie sul loro modo di vivere correvano di bocca in bocca, e così hanno traversato i secoli senza subire gli effetti del passar del tempo. Questo è avvenuto proprio perché l′influenza esercitata da tali uomini non era legata a singole, isolate opere letterarie, a discorsi o altri artifici, ma scaturiva da una vita totalmente ispirata a una forza spirituale superiore, che appariva perciò a tutti come un′immagine luminosa, un esempio divino.
Questi uomini esemplari sarebbero diventati indimenticabili maestri di vita e avrebbero conquistato il cuore di molti anche se non avessero lasciato alcuna prova tangibile del loro operato, proprio perché ispirarono il loro agire e la loro esistenza a uno spirito superiore, come un geniale architetto che non edifica una cattedrale o un palazzo affidandosi all′arbitrio o al capriccio del momento ma li porta a sicuro compimento dando forma concreta a un′idea e un progetto ben vivi nella sua mente. Furono anime ardenti e impetuose, divorate da una grande sete di eterno e infinito che non diede loro né pace né tregua finché non riconobbero, aldilà degli usi del loro tempo e della loro gente, una legge eterna, su cui da quel momento basarono le loro azioni e a cui affidarono le loro speranze.

地上にはいつの時代にも、英雄的行為や小説に記されるような栄誉を得ることを目的とせずに行動した人間達がいた。その偉大な精神は全時代の多くの人生に共感を呼び、彼らの名は普遍であった。あらゆる人たちが夢中になって彼等について話し、彼らを知りたがり、彼らの名前と生き様は口から口へと伝えられた。彼らの生涯は時を超え、霊感に従い、議論や巧まれた著作とはとりわけ結びつかずにかけ離れていた。しかし、生命全体の輝かしい表象、より高い精神は万人の前にあふれ、顕れた。これらの、範となる人間は忘れられることのない人生の指導者となり、彼らの行動は多くの人の心を捉えた。天才的な建築家、カテドラルや宮殿を建てることはないが、彼らは、しかし心象を具体化する形と頭の中で躍動する設計図と確実な完遂に至る意志とを持ち、激しく熱い命は熟知に至るまで平安なく休息なく、終わりのない永遠の大きな渇望を貪った。人々は、たとえ何がしかの証に触れられずとも、その至高の精神の存在と振る舞いとから彼らの意志と奇抜を信頼し、地上の彼方にある彼らの語法、永遠の法則に根ざした彼らの働きに希望を託した。


今日は聖フランチェスコの日です。
生まれたのは1181、2年の9月26日で
亡くなったのは1226年、10月3日、
10月4日にSanto 聖人になりました。

ヘルマン・ヘッセが、
"Franz von Assisi°
"Francesco d'Assisi" という
聖フランチェスコの伝記を短い小説にしていまして、
導入部、冒頭の書き出しが真に美しいです。

ドイツ語とイタリア語のコピペをしましたので、
味わってください。
私はイタリア語版しか持っていず、
ドイツ語版はWebで探しました。
が、上記のドイツ文は「フランチェスコ」
の冒頭文ではありません。
書評です。
済みません、間違えました。
ドイツ語では私の探す限りウェブで見当たりません。


ヘッセ 「アッシジのフランチェスコ」へのコメント欄から
イタリア人の2つのコメントを。
Scritto da: Ilaria - 21 settembre 2016
bellissimo, come tutti i libri di hermann hesse! un libretto piccolo e breve ma che contiene un enorme insegnamento d amore

2016年9月16日 イラーリア記す
 他のヘッセの、全ての著作と同じようにbellissimo! 大変美しい。
 短い小さな作品だが、大きな愛の教示を内包している。
 

Scritto da: Marianna - 24 aprile 201
Amo molto leggere Hesse. La storia di San Francesco ormai la conosciamo tutti, chi più chi meno. Ma Hesse aggiunge quel tocco di dolcezza, umiltà e fluidità che dona ai suoi racconti un misticismo autentico e che arricchisce l'anima ad ogni capoverso.Toccante

201?年4月24日 マリアンナのコメント
 ヘッセを読むのは大好きです。聖フランチェスコの生涯は
 多かれ少なかれ 私たちはみんなが知っています。
 けれどもヘッセは優しさと、慎ましさ、円転自在を書き添えました。
 本物の神秘主義を語り、段落ごとに精神を豊かにしてくれます。
 心に触れます。
 

この2つはドイツ人コメントです。
Antw:Hermann Hesse - Franz von Assisi
Das Buch werde ich mir auch mal vormerken. Den "Bruder Feuer" habe ich kürzlich gelesen, fand ich aber nicht sooo gelungen. Vielleicht liegt mir der Hesse ja eher.

アッシジのフランチェスコ 返信
 この本も今回書き留めておく本です。
 「炎の兄弟たち」を最近、読みました。私には
 とーーーっても、味読はできなかったです。(でも)
 ヘッセはむしろ私の中に住むでしょう。

Danke Manuel....! Ich lese Hesse sehr gerne und das Buch kenne ich gar nicht. Bin begeistert. Sofortiger Kauf!
lg Cori

有難う、マヌエル
 ヘッセを読むのはとても好きです。
 この本のこと全く知りませんでした。すぐに買いに行きます。
 ワクワクするわ。
         インゲ・コーリより



聖フランチェスコは聖アントニオと共に
動物達の守護聖人です。
動物への心配が生じた時には
2人にお祈りなさってみてください。


アッシジのフランチェスコ

こんにちは。
フランツ。フランシス。
アッシジのフランチェスコは日本では知られていないです。
「車輪の下」ばかりが有名で、あとは「デミアン」とか「シッダールタ」 「春の嵐」 「郷愁」が少し知られているみたいです。
「車輪の下」や「少年の日」しか知らないなら、
「ヘッセは青春の書だ」と批評するのは当然です。
全部を読んだこともないのに、青春時代の小説だと言い切るのは大胆で無知な意見ですよね。無知だから大胆になれるのかもしれません。

フランチェスコはほとんど日本で読まれていないでしょう、
導入部となる、冒頭、書き始めの部分だけでも、今ここで初めて読んで圧倒されました。一流のものには(本物)には添える言葉いらな。まさにそうです。

ドイツは出版業界がにぎやかです。イタリアはどうか分かりませんが、イタリア人は読書家が多いみたいですね。それもライトノベル級の小説ではなく正統的な文学書がよく読まれている様子ですね。

Guten Tag!

まだGuten Tag時間です。
日本ではGuten Abendですね。
最近は本のお値段が安くなりましたが、
まだドイツよりお高いです。
ということは、ドイツでは出版業界が繁栄している、
ということでしょう。
何せ電子書籍に反対していたお国柄ですものね。
普通のイタリアの家庭には、
ドア2、3枚分、からかみ3,4枚分ぐらいの大きさの
書棚があり、百科事典や文学全集が並んでいます。
が、読まないね。
名画の複製を飾るように、本も飾ってあるといった風情です。

今、日本では文学書を好んで読む人たちが
どれだけいるのか分かりませんが、
イタリアでは少数です。
しかし、その少数派は大変な読書家です。

一般的に理数系学術よりも文学に一目置いて
賞揚する人の方が多いです。
文学の国でもあるわけです。

本好きな人の中には、
「日本文学は形式の美しさはあるが、
中味がない」 という御仁もいます。
さて、どうやって反論したものか、

中味の濃い、哲学にも通じるような作品をご存知なら
ご教示ください。Flügelさん。



再び今晩は

最近、友人間でもネットでも語彙とゆう言葉をよく聞きます。
語彙は多いに越したことはないのです。でも、その語彙で何を語るのか、何を言いたいのか、とゆうと現代の小説では中身のお粗末さを失礼ながら感知せざるを得ません。

哲学と文学を考えるのは深すぎる、私には深すぎます。
源氏物語は後世の人達が 源氏物語の政治的側面、神話的側面、哲学的な側面と定義づけしています。紫式部自身は小説の中で人生観を語っているだけで、彼女の人生観に共感はしますが、普遍の哲学までには昇華していない。

西田幾多郎は哲学者で文学者ではない。新渡戸稲造の「武士道」も人生観なので哲学ではないです。立派な人生観ではあっても。

また来ます。

Flügelさん

コメントをどうも有り難うございました。
そうですね、哲学と文学を考えて行きますと
この問題は私にも深すぎます。

「古事記」でも「奥の細道」でも「方丈記」にしましても
後の人達が哲学も内包しているのだと
言っているわけです。

西田幾多郎の友人の鈴木大拙は
禅を紹介して記した禅集が何巻もあります。
(全て英語で書いたというのが凄いところですが)

私には何とも読み辛い禅書でしたが、
読み進めるうちに面白さが増して来ました。
(日本語で読んだのです)

彼は禅思想を説いたので、哲学を語ったのではない。
仏教は哲学だ、という方もいますが。

そもそも鈴木大拙が書いたのは文芸書ではないですものね。

哲学と文学と、数学と音楽と、
一生のうちにどれだけ深められるか、
深まる秋と共に私の難儀で楽しい案件です。

秋が深まる、というより秋を通り越して
冬になってしまいました。
寒いです。
地球温暖化というのは、あれはウソです。
意識したウソなのか、あるいは無知なのか。





Bonsoir

日本文学と西洋文学では立ち位置が違うから
同じ平面上では比べられない、
だから議論することはできないよ、
ということを、おばさんは良く知ってるのでしょう。
「どうやって反論するか」というのは
半ば真摯なちょっとしたアイロニーで言ってるように見えるけど。

哲学というのは1つのテーマを掘り下げて行くものだ。
西洋ではキリスト教を軸として生きるか死ぬかで
渾身の力で思考して書いて来た文学史があるから
主題の真摯な強靭さにおいて双方を比較できない。
比較できない程の重みがある。
ユーゴやプルースト、ジッドまではね。

これ、書いてると長くなるからね、また来るよ。
je vais voir

今晩は。

お越しやす。

そうですね、日本文学と西洋文学を
別々に考えた方がしっくりしますね。
と言うほど私は文学に精通していないんですよ。
大衆小説も文学と言われるものも
ごちゃ混ぜに読んでいます。

山崎豊子、藤沢周平、田辺聖子、向田邦子など
他にもいますが、
大衆作家(流行作家)なのでしょうけれど、
彼等の小説のいくつかは、後々
文学と称されるのではないですか。

三島由紀夫ばかり俎上に上げて
申し訳ないのですが(笑)
小説の組み立てや言葉の美しさは卓抜で
目を瞠るものがあります。
しかし、ニーチェとは比べるべくもない。
比べる必要もないし、比較はできませんが、
しかし、彼はかなりニーチェに心酔した、
ニーチェの影響を受けましたでしょう。

日本の作家は(明治以降)西洋の作家に
少なからず影響を受けて書き始めていますよね。

ときに今年はウンベルト・エーコが亡くなり、
先日ダリオ・フォーが。
ノーベル賞はボブ・デュランですと。

ピランデッロやヘッセの時代とは大部変わりましたね。

Bonsoir

 Mais comment veux-tu mourir un jour, Narcisse, puisque tu n’as point de mère ? Sans mère on ne peut pas aimer, sans mère on ne peut pas mourir. 

これ、誰の言葉かわかるかな、
待ってますよ。

comment allez vous?

ある日、君は母なしにどうやって死ぬんだ、ナルチス、
母なしに愛することも死ぬこともできはしない。
Secre

プロフィール

Author:ミルティリおばさん
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イタリアに住むこと30と数年、
猫と2人暮らしのおばさんです。
翻訳フリーランサーです。
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英語とドイツ語はネイティブ翻訳者との
コラボです。

2011年来、若かりし頃のジャッキー・チェンに夢中です!
お気が向いた時にいつでもいらして下さい。
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