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ナルチスとゴルトムント マリアブロン修道院

ナルチスの姿はなくなりました。
他の教師が代わって生徒に教え、
図書館の彼の書見台は空になりました。
時折、中庭を横切り、ある時は礼拝堂で
石の床に跪いて祈っている小さな声を
聞きました。
断食と徹夜と夜中の3度の祈りに
熱心な修道士は勤しんでいるのでした。

ゴルトムントはナルチスが又、教師の仕事に
戻って教え、食堂に戻って話し始めること、
でも前のようにナルチスはもうゴルトムントの
ものではないことを知っていました。

修道院の中で尊重され愛されているナルチスと共に
至高の修道院長をも讃えていました。
しかし考えれば考える程、ナルチスなしには
修道院の生活は全く意味がない。修道院が
見知らぬ土地での雨宿りに思えるのでした。

礼拝堂の石造りの大きなマドンナ、正面玄関の使徒達、
彫刻が施してある祈祷席、中庭の井戸、
3頭の動物のいる円柱、シナの木、
大きな栗の木に寄りかかり、心の中の絵本のように
思い出となるでしょうマリアブロン修道院の中の
好きな場所を散策しました。

マリアブロン修道院はヘッセの学びの宿舎、
マウルブロン修道院です。
いやでいやで2度逃げ出して、とうとう退学した
神学校、少年が嫌いだったその神学校は
数十年の後、「車輪の下」、「ナルチスとゴルトムント」
となって懐かしく美しく甦りました。
脱走する前にヘッセはマウルブロン修道院の中を
ゴルトムントのように見て廻ったのでしょうね。

マウルブロン修道院は南ドイツ、
バーデン・ビュルテンベルク州の
マウルブロンという町にあります。町(地域)の名前を
取ったのでしょう。ヘッセの生家から、ほぼ1時間(バスでね)
シュツットガルト、カールスルーエの間、
ハイデルベルクからも近いといえば近いです。

昔、ペルージャが中田選手で昇格する前に、
場所を説明する度にローマとフィレンツェの間に位置すると
言っていました。

で、マウルブロン、建てられたのは12世紀、
シトー会というフランスの地域にあるカトリックの分派に
よってです。神聖ローマ時代ですね。12世紀というと
日本では平安時代後期から鎌倉時代への過渡期、
保元の乱、平治の乱の頃。
中国ですと北宋から南宋へ。異民族に支配されていた頃と
なります。

マウルブロン修道院はカトリックから16世紀に
マルティン・ルターの傘下となり今はプロテスタントの
修道院で全寮制の神学校でもあります。
1993年に世界文化遺産となりました。
私が参りましたのはそれ以前です。

規模の大きな修道院です。
でも「拳精」のあの少林寺を念頭に置かれませんように。
主人公の一竜は寺で育って外界を知らず、女の子も
知らなかったそうですが一山全部少林寺だったわけですか。

撮影は韓国の金山寺、佛國寺(これも世界遺産)
台湾の行天宮で行ったそうです。
(別サイトのKungFuFanさんからの
情報です)

で、マウルブロン修道院は京都の西本願寺、東本願寺、
奈良の東大寺あたりを思い浮かべて頂けば、
規模はあの辺りだと思います。
建造物はかなり違いますが。お寺と教会をほぼ
同一視しているおばさんです。

修道院入場料は今、10オイロ位するのでしょうか、
ロマネスクとゴシック様式の重なり合う美しさ、
ハンス、ナルチス、ゴルトムントの気配を感じました。

 
Secre

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猫と2人暮らしのおばさんです。
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