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山茶花帖

山本周五郎の時代劇です。
山本周五郎(1903年~ 1967年)の
「武士の魂-山茶花帖」です。
昔も今も、人間の所業、頭脳構造というのは
変わりませんのね。
しかし、私の好きな一品です。

お勧め/山本周五郎/時代劇シリーズ「 武士の魂/山茶花帖」竹財輝之助 山下リオ 古川悦史 奥村英人

「山茶花帖」の朗読です。
朗読】山本周五郎「山茶花帖(さざんかちょう」


山本太郎氏の国会審議です。
持ち時間が何と15分!その間に
内容の濃い質問をしていらっしゃいます。
山本太郎代表 約2年8カ月ぶりの国会! 質問時間15分の裏側に迫る - 衆議院・内閣委員会(2022年2月9日)

聞いていて呆れました。
国外で、いやと言う程バラまいて、
国内では、ケチこの上ない、
理不尽を通り越して、気ちがい沙汰ですね。
日本のかた達は大人しい。
イタリアでは暴動が起こるところです。
私は、暴動を起こしたわけではないですが、
1年3か月の間に、緊急支援を約45万円いただきました。
生活必需品も大3パックいただいて、
今でも、使用させていただいている物もあります。

気ちがい官僚と阿保議員を相手に、
山本太郎さん、ガンバレ!としか応援できないです。

「時計」 ホームズの推理学 その2

「例えば君の兄さんはぞんざいな人だった。推理はそこから始めたんだ」。
「時計の蓋の底には2,3か所の凹みがある。よく見ると底だけではない。
蓋のどこにでもある。ということは、
ポケットに他の固いものと時計を一緒に入れておいたのだろう。
鍵とか、お金とか。50ギーニエの価値がある時計をぞんざいに扱っていた」
ワトソンは頷いた。
「イギリスでは一六銀行(質屋)で金を借りる場合には、
時計を持って行った時に、蓋の内側に針で賃貸番号を記す。
私のルーペでは4箇所に数字がある。
君の兄さんは何度か不況にあえいだ。
だが、しかし時々、景気の良い時期もあった。
でなければ、質から時計を買い戻せなかっただろう。
最後に、内部のゼンマイのあるプレートをご覧なさい。
節制のある人が、ねじ巻きにこんな跡を付けるかな? 
夜中にほろ酔い加減で、手許がおぼつかない人が巻いたんだ」
ワトソン;「白日の下、全てが明らかだ。君への非礼をお詫びする。
それで今、調査の案件を何か受けているの?」
ホームズ;「いや、何も」

以上です。

Leroy Anderson - The Syncopated Clock
 ルロイ・アンダーソンのシンコペイティッド・クロックです。

Leroy Anderson Syncopated clock
 同じ曲です。








「時計」 ホームズの推理学  

イギリスの名探偵「シャーロックホームズ」で知られる
作家兼医師であるアーサー・コナン・ドイル 1859~1930は
本当は歴史小説が書きたかったのだそうです。
願望はどうであれ、推理小説でこれだけ有名になったのだから
それでいいじゃないですか、と思うのですけれど。
彼には『マイカ・クラーク』と『白衣の騎士団』などの歴史小説があります。
漫画の「名探偵コナン」は、きっとコナン・ドイルの名前から採ったのでしょうね。

シャーロック・ホームズと彼の腹心の友、
医師のジョン・H・ワトソンは(このHはどういう意味か定かではないです)。
切っても切れない間柄です。

「パスカヴィル家の犬」という小説では、ホームズがワトソンに、
推理を要望します。
逆に「時計」という短編小説では医師ワトソンが探偵ホームズに推理をリクエストします。
 ―「時計」、これは、日本版で訳されているのかどうか分からず、
 私は、単純に「時計」としましたが、和訳されているとしたら、
 何という題名かは分かりません―

ある時、いつでも理詰めで考える学術的思考派のホームズにワトソンは、
ホームズの鼻を開かそうと、1個の懐中時計を持ち出して
「この時計の持ち主が、どんな人間だったか推理することができるかい?」
(フッフッフ、これは難問だろう、お前さんにできるかな?)
と内心、ワトソンはほくそ笑みます。
「あゝ、磨いたばかりの時計だね。手掛かりが殆んど何にもない。
でも、未知の部分に大きな興味がある」
ホームズは懐中時計の蓋を開けて、徐に(おもむろに)ルーペ(虫メガネ)を取り出して調べ、
ものの数分も経たないうちに、早速、述べ始めます。
「間違ってたら訂正を頼む。
これは、君の一番上のお兄さんのものだね、お父さんから形見としてもらったものだ。
裏に頭文字が彫ってある、W.H.と。Wは君の家の苗字だ。
頭文字を彫ったと同時期の、時計は約50年前のものだ、形見は一般的に長男が貰う」
ワトソン;「うん。ここまで正解だよ。他には?」
ホームズ;「長男は無精な男だった。とても無精だった。
良い機会が何度もあったに関わらず、その度に逃してしまった。
幾度か短期間、豊かな暮らしをしつつも、ある時には貧しい生活をした。
最後に彼は酒に明け暮れて死んで行った。手に取るようによく分かる」
ワトソンは椅子から飛び上がり、足を引きずりながら、部屋中をあちこち、
イライラと歩き回った。
(ワトソンは足を負傷して兵役から帰って来ました)。
「卑怯だぞ、ホームズ!」ワトソンは叫び、
「ここまで、行き着くとは想像だにしなかった。
私の残念な兄の事を、君は私が知らぬ間に調査したのだろう。
そうして君が周知の事実を、さも知らなかった事のように推理するふりをする。
君は、古い時計の観察からこれらを推理したと、
まさか私が信じているとは思わないだろう。
不親切だ、詐欺師だ!」
ホームズは、そっと遮った。
「わが愛するドクター、」
「私の理論上だけの推理を詫びなければならない
私はプライベートな出来事と、家族の心痛を忘れてしまっていた。
この時計を手にするまで、君のお兄さんのことを知らなかった。
「観察から可能性を取り出しただけなんだ。こんなに当たっているとは思わなかった」
ワトソン;「想像上だけの観察ではなかったんだね」
ホームズ;「仮定上のまぐれってことはない。それは理論的な精査を壊す悪い習慣だ。
小さな事実から大きな結末を引き出す私の思考の
道筋を追えない人には不思議だろう」
ワトソン;「それじゃあ天に誓って、この事実を知らなかったんだね。
詳細をどうやって知ったんだい?」
ホームズ;「例えば君の兄さんはぞんざいな人だった。推理はそこから始めたんだ」。

ここまで、1500字前後です。
一番の山場で中断です。
(私、性格が悪いでしょ?)
続きは近いうちに。
お時間があったら、なぜホームズがワトソンのお兄さんの生活ぶりを、
知ったのか、推理なさってみてください。

1,私はあらゆるものを観察する。
2,それを基に推理を行う。
3,不可能なものを消去していけば、どんなに奇妙であろうと残ったものが真実である。
       ホームズの推理学(演繹学)より

実際は一人称形式で、ワトソンは「私が」として語られます。


ハイドンの交響曲第101番「時計」から第二楽章
Haydn, andante sinfonia 101 "El reloj"

もう1つ、同じものです。
Haydn - Sinfonia 101 "L'orologio" - "Andante"







戦場の鐘音

メルヒェン・コール
  
      戦場の鐘音

 昔、昔のこと。怖ろしい大戦争がありました。
昼夜問わずに弾丸が飛び交い、
敵の兵士も味方の兵士も、その多くが死んでしまいました。
長い長い戦争が続き、大砲を作ろうにも青銅、鉄、
銃や剣までもが不足してしまっていました。
 そこで、私たちの隊長である強行採決大将軍は、
すべての鐘を鐘つき堂(鐘楼)から引き下ろすように命令しました。
「その鐘を溶かして1つの巨大な大砲を作れ。たった一発で敵を粉砕する大砲を」と。
 さて、完成した大砲を持ち上げるのには、10万台のクレーンが必要でした。
国境まで運ぶのには、97台の列車が必要でした。
大将軍はご満悦。「私の大砲が炸裂する時は、敵どもは月まで逃げて行くだろう」
にんまり笑って言うのでした。
 いよいよ一大勝負の時が来ました!
巨大な大砲は敵陣に狙いを定めます。
耳の鼓膜が破れてしまわぬように、綿を耳に詰め込みます。
強行大将軍が命令します。「撃て!」 
砲兵がボタンを押しました。すると突然、「ゴーン!」と、
国境でとてつもない大きな鐘の音が聞こえました。
驚いた私たちは、音がよく聞こえるように耳栓の綿布を取り外しました。
無数のこだまが山々や谷に響き渡りました。
「キン! コン! カーン!」
「撃て!」2発目の命令を大将軍が下します。
新たに、鐘の音が陽気に、防砦壕から防砦壕へと響き渡ります。
それは、祖国の鐘が一斉に鳴り響いたかのようでした。
怒った強行大将軍は自分の髪を掻き毟り、掻き毟り、
とうとう毛が一本になるまで、掻き毟り続けました。
 少しの静寂の後に、国境の向こう側から答えるような、
リン・ゴーンという大砲の轟音。
というのは、敵の大将、お陀仏元帥も同じことを考え、
国中の鐘で大砲を作ったのでありましたので。
こちら側の大砲がキンコン!と鳴れば
あちら側でもカーン!と答え、
驚いた兵士たちは2つの防砦壕(ぼうさいごう)から躍り出て、
「鐘だ、鐘だ!祝いの鐘だ!平和がやって来たんだ!」
と彼らは叫んで駆け寄り、出会った敵味方は互いに踊り喜びました。
 強行大将軍とお陀仏元帥は、
彼らの車でベンジンが尽きるまで遠くに逃げて行きました。
けれども鐘の音は、なおも2人を追いかけて行くのでした。

今年、生誕100周年の、ジャンニ・ロダーリの"Favole al Telefono″という
短編童話集のうちの1つです。
"Favole al Telefono″は直訳しますと
「電話で童話を」になりますが、
「メルヒェン・コール」と訳してみました。
国内を駆け巡って医薬品セールスの仕事をする計理士のビアンキさんが、
「パパのお話なしでは眠れない」と言う、
彼の幼い娘に毎晩9時に電話で語る童話の数々です。
お父さんが語る童話に電話交換手も、しばし聞き入ったのでした。

上記の短編は全70話のうちの、第21話です。
原題は"La guerra delle campane″「鐘の戦争」ですが、
「戦場の鐘音」と意訳しました。

翻訳は翻訳者の数だけある、人の数だけある、と
考えていますので、原書をご存知なら、
訳してみてください。
それほど難しい作品ではないです。

10万台のクレーンや97台の列車があるなら、
鐘を溶かさなくてもいいのでは、
ボタン1つで発砲できる大砲とは、いつの時代のものか、
と突っ込みを入れたくなりますが、童話ですから。
私のお気に入りの一篇ではあります。

ジャンニ・ロダーリはピエモンテ州のオメーニャという所に生まれ、
1920~1980ローマで亡くなりました。
教員を経てジャーナリスト、童話作家となった人です。
"Favole al telefono″は、初版が1962年。
彼は1970年にはアンデルセン賞を受賞しました。
ロダーリは言葉遊びに長けた作家でした。
Favole al telefonoを自ら評して、
「全ての短編が自信作ではない。
ma sfido, alcune cose sono belline.
けれど、私はチャレンジします(読者に)
いくつかは素敵な(可愛らしい)作品だ。
(いくつかの作品は傑作だ)

ある女性がこの作品にコメントを寄せました。
「私が眠る前に、大好きなお父さんがベッドの脇に腰かけて、
毎晩、Favole al telefonoを読んでくれた。私には忘れられない童話です」

ジャンニ・ロダーリにもパオラという娘が1人おりました。


鐘といえば、そろそろ除夜の鐘が鳴る時期です。
鐘の有名処は、
 祇園精舎の鐘の声
 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色
 生者必衰の理をあらわす
 奢れるもの久からず
 ただ春の夜の夢の如し

鎌倉時代に生まれ、琵琶法師によって伝えられた「平家物語」の冒頭です。
祇園精舎はインドにあり、その当時、鐘はなく、近年になって寄贈
されたのだそうです。
(想像の耳奥で鳴る鐘の方が心に響くことがあるかもしれません)

日本最古の梵鐘は7世紀末に、京都は妙心寺(福岡県の観世音寺の鐘と共に作られたました)
鐘の鋳造(ちゅうぞう)は6世紀に、仏教伝来と共に、
中国の技術が朝鮮半島(高句麗)を経て入って来ました。
黄鐘調の鐘音です。

従然草の中で吉田兼好が「凡そ鐘の声は黄鐘調なるべし、
これ無常の調子、祇園精舎の無常院の声なり、
西園寺の鐘、黄鐘調に鋳られるべしとて、・・・etc

黄鐘調(おうしきちょう)というのは、
雅楽の3つある形態のうち「管弦」の6つの音階の中の、その1つです。
鐘造りにあたって現代では、振動形態,波長,周波数をコンピューターと共に
何百人もの職人さんたちが手作りします。
手作りといえば、フェラーリ、ポルシェ、
シュタインウェイ、べーゼンドルファーなんかも手作りです。
だから、お値段が張るわけです。

熊本県にある蓮華院誕生寺の梵鐘は日本一の大きさなのだそうです。
初詣でにぎわう、「飛龍の鐘」と呼ばれるその鐘は、
直径2.88メートル、高さ4.55メートル。重さは「満願」に通じる「一万貫」(=37.5トン)だそうです。

世界最古の鐘は紀元前1000年、バビロン近くで見つかったものだそうです。
紀元前900年、ソロモン王は鳥を追い払うために、
金でできた沢山の鐘を屋根に置きました。
紀元前8世紀の中国にも鐘が見つかっています。西周、東周の時代ですね。

世界一大きな鐘はモスクワ、クレムリンの「ザールの鐘」と呼ばれる、
直径6,82 m 、198 トンもあるものです。 ロシア人も鐘がとてもお好きなようです。
浅田真央選手が、カナダ・オリンピックでラフマニノフの「鐘」を披露しました。
「鐘」ではなく、「007」「道」「トゥーランドット」なんかを滑れば、
1等賞が取れたのに、と思って見ていました。
コーチのタチアナさんは、しかし自分の祖国の「鐘」を日本人選手に踊らせる 
というのはすごいな、
それだけ真央ちゃんを高く評価していたのでしょう、とも考えました。

第二次世界大戦中には日本でもヨーロッパでも、
兵器製造のために鐘が取り壊されました。
日本では金属類回収令(昭和16年9月1日施行)が公布されました。

音楽を3つほどリンクします。
よろしかったらお聴きください。

チャイコフスキー - 大序曲《1812年》Op.49 カラヤン ベルリンフィル
  1812年にナポレオン、ロシア遠征でロシアにしてやられた時の音楽
  チャイコフスキー 大序曲「1812年」

Shostakovich Symphony No.11, mov't 4
  ショスタコーヴィチのシンフォニー第11番第4楽章「警鐘」
  ソヴィエト連邦政府は、旧体制の帝国主義を批判したこの曲を作った功績として
  ショスタコーヴィチにレーニン賞を与えました。
  しかし、本当に彼が批判したかったのは当時の政府では。

2曲とも鐘の音がゴンゴンします。チャイコフスキーにいたっては
大砲まで活躍します。


気分を変えてビゼーの組曲「アルルの女」
Bizet - L'Arlésienne Suite No. 1 & Suite No. 2 / Nathalie Stutzmann
  第1組曲か第2組曲に「カリヨン」というのがあります。
  探すの面倒だから全曲お聴きになってください。
  ご存知の音楽と思います。

アルベール・カミュ

ニコライ・A・バイコフ(1872~1958)
キエフ生まれのロシアの作家で、
「偉大なる王」の作者です。
王(ワン)というのは虎に冠せられた呼称のことで、
額に王、首に大という文字が、生まれながらに刻まれていました。
スーパー・タイガーの王は、満州の大森林の、
大自然の中で、王様として、
他の動物たちと共に生き生きと暮らしています。

特筆すべきはトン・リー(ツン・リー)老猟師と王との出会い、
2人(1人と1頭)の間に起こる神聖とも言える敬畏です。

しかし、森林生活は続かなかった。
鉄道建設のために、多くのロシア人が森林に入り込み、
最後に王は銃弾に倒れてしまいます。

この本と、それから戸川幸雄の「虎を求めて」
興味があおりでしたら、ご一読ください。
どちらもドキュメンタリー風です。

それではカミュのこと、
カミュ(1913~1960)は、
アルジェリア生まれで(フランスからの移民家族)、
家族は皆、文盲で、
やがて彼はパリに赴き、結核を患っていたことにより教職を逃し、
文筆活動を始め、ノーベル賞を得て、
といったことは、よく知られているとは思います。

47歳での最期の迎え方が、些かミステリアスで、
残念でもあります。
出版社の夫人や娘と総勢4人、車でパリに向かう途中、
木に衝突して、助手席のカミュは即死でした。
霜が降りた朝の道路で、
スピードもそれほど上げてはいなかったでしょう。

調べによると、タイヤが破損されていたそうです。

ハンガリーを弾圧したソ連を、批判した廉で、
(恐らく)KGBから亡き者とされてしまったのです。

夜中のうちにタイヤに穴を空けるなど簡単なことでしょう。

カミュは、しかし短命のうちに、特異な、素晴らしい作品を
書き続けたのでした。

佐々木匠(博士、あるいは教授と思いますが)
「ペスト」に関する考察です。
現代の悲劇


ブレンダ・ピゼッリの「科学と宗教」(医療と信仰)です。
Scienza e religione ne “La peste” di Camus
 イタリア語とフランス語ですが、勉強中のかたは、挑戦なさってみてください。

プロフィール

ミルティリおばさん

Author:ミルティリおばさん
住まいはイタリア、ペルージャです。
翻訳 フリーランサーです。

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