2023.05.01
Chi sei tu, lettore
Chi sei tu, lettore che leggi
le mie parole tra un centinaio d’anni?
Non posso inviarti un solo fiore
della ricchezza di questa primavera,
una sola striatura d’oro
delle nubi lontane.
Apri le porte e guardati intorno.
Dal tuo giardino in fiore cogli
ricordi fragranti dei fiori svaniti
un centinaio d’anno fa.
Nella gioia del tuo cuore possa tu sentire
la gioia vivente che cantò
in un mattino di primavera,
mandando la sua voce lieta
attraverso un centinaio d’anni.
Rabindranath Tagore
ラビンドゥラナート・タゴール
100年後に私の詩を読む、
あなたは誰だろう?
100年前の、
この春の盛りの花一本、
遠くに輝く一筋の、金色の雲を
贈って上げられないが、
扉を開けて、辺りを見渡してくれ給え
庭で花を摘んでごらん、
100年前の香りはしないけれど、
春の朝に、
あなたに贈る春の声、生きる喜びを
100年を越えて
あなたは、歓喜の中で
感じることが出きる。
ラビンドラナート・タゴール
Chi sei tu, lettore che leggi
le mie parole tra un centinaio d’anni?
Non posso inviarti un solo fiore
della ricchezza di questa primavera,
una sola striatura d’oro
delle nubi lontane.
Apri le porte e guardati intorno.
Dal tuo giardino in fiore cogli
ricordi fragranti dei fiori svaniti
un centinaio d’anno fa.
Nella gioia del tuo cuore possa tu sentire
la gioia vivente che cantò
in un mattino di primavera,
mandando la sua voce lieta
attraverso un centinaio d’anni.
Rabindranath Tagore
ラビンドゥラナート・タゴール
100年後に私の詩を読む、
あなたは誰だろう?
100年前の、
この春の盛りの花一本、
遠くに輝く一筋の、金色の雲を
贈って上げられないが、
扉を開けて、辺りを見渡してくれ給え
庭で花を摘んでごらん、
100年前の香りはしないけれど、
春の朝に、
あなたに贈る春の声、生きる喜びを
100年を越えて
あなたは、歓喜の中で
感じることが出きる。
ラビンドラナート・タゴール
2022.06.18
ピエール・パオロ・パゾリーニは
(俳優、劇作家、詩人 1922 ~1975)
今年、生誕100年を迎えました。
彼について記事を書きたいのですが、
時間ばかり飛んで行ってしまって。
パゾリーニの言葉をラジオで伝えてくれたので
早速。
「音楽に定義はない。聞く側の環境や、習慣、
傾向や感情などで、同じ音楽でも違ってくる」
確かに!そう言われれば。
楽譜を理論付けることは出来ても、一旦、
オタマジャクシが空中に舞い出せば、
聴く側にお任せ、ということになりますものね。
詩や小説はその傾向が少ない、とは思いますが、
時折、神秘的な(平たく言いますと訳の解らない)
詩などがあって、その1つが、
レオパルディの「無限」です。
文学に携わる人も、これは謎の詩だ、と言っているので
確かに!ナゾの詩です。
高校生、必修の有名な詩ですが、
何がナゾかって、詩を詠った時のレオパルディの心境を
私も掴めません。
L'infinito
Sempre caro mi fu quest' ermo colle
e questa siepe, che da tanta parte
dell'ultimo orizzonte il guardo esclude.
Ma sedendo e mirando, interminati
spazi di là da quella sovrumani
silenzi e profondissima quiete
io nel pensiero mi fingo, ove per poco
il cuor non si spaura. E come il vento
odo stormir tra queste piante, il quello
infinito silenzio a questa voce
vo comparando: e mi sovvien l'eterno
e le morte stagioni, e la presente
e viva, e le suon di lei. Così tra questa
immensità s'annega il pensier mio:
e naufragar m'è dolce in questo mare.
昔、書いた記事を、そのまま再Upします。
時を分かたず大切だった この人気のない丘
座して眺むる
遠い彼方を遮る木々を
木々の向こうの
人智を超えた広がりと静寂(しじま)と
寂光を瞑想する
無を前に震わんとする私の心
風に揺らぐ、この木々の葉擦れの声に
無限静寂と常しえを想い
過ぎ去った昔の日々と永遠(とわ)を
生きている今日を
その声の中に想う
かくの如き無限の中に
私の思いは沈み込み
この広い海に心地良く呑み込まれる
ジャコモ・レオパルディ(1798~1837)
訳: 僭越ながらミルティリおばさん
"Il giovane favoloso" 「伝説の若き詩人」
レオパルディの若い頃を(と言ってもレオパルディは若くして亡くなって
しまいましたが)描いたジェルマーノ監督の作品がヴェネツィア映画祭に
出展されました。又イタリア系アメリカ人のフェラーラ監督による
「パゾリーニ」も出展されました。
金の獅子賞を獲得したのはスウェーデン映画「鳩」です。ヒューマニズム
悲喜劇です。
レオパルディを演じたのはマリオ・マルトーネ。
ジャコモ・レオパルディにしては美しすぎ、のきらいがあります。
マルケ州レカナーティで伯爵家に生まれたジャコモは
幼少時に脊椎側弯症、あるいは脊椎カリエスを患い、150cmに
満たない身の丈でした。せむしでした。
厳格な父親と、子供への情愛が薄い狂信家の母親に育てられました。
Mamme d'Italia とか言われてイタリアの母親は子供に情愛深く、
逞しいというイメージがあるのですが、時たまこういうお母さんが
いるんですよ。子供に無関心でまるで愛情を持ち合わせていないという。
そういう家庭の場合は父親と子供の結びつきが深くなります。
母親は狂信家というのは、勿論カトリック教信者です。
宗教というのは諸刃の剣、というより教えを受け取る側次第なので、
キリストの説法にある「種まき人の喩え」のように、当に
蒔かれる土地が重要なのですね。
モンゴメリーの夫は牧師さんでした。「赤毛のアン」はその土台に
良き宗教性がある、と思います。
「若草物語」の、姉妹達のお父さんが狂信家でした。
(これは物語を知っていないと分かり難いですね)
時は南北戦争、出征していて不在の父親(実際には宗教活動に
明け暮れて不在)なのですが、作中では出征に。
戦地からの父親の帰りを待つ4人姉妹と母親、家政婦さんらが
繰り広げる、時のアメリカ合衆国の、家庭、生活を描いていて
ひと頃、女の子のバイブルと言われた小説です。
ジョセフィン、ジョーと呼ばれる次女が、オルコット(作者自身)です。
彼女は「作中のお母様のことを万分の一も良く書けていない」
と言っているように、お母様は、
宗教を自分の中で豊かに培った人間性豊かな女性
だったのでしょうね。
このお母様には私も大変惹かれます。
レオパルディはお父つぁんも厳格、おっ母さんも宗教にばかり
夢中で子供にかまけない、で、小さな頃から人気のない丘に
逃避した、現実を逃避したのでしょう。しかし、もともと詩人の
普遍的傾向である孤独癖(孤独な魂)をも持ち合わせていた、
と解釈します。
上記の詩「無限」は高校生必修の詩です。
恐らくイタリアで一番有名な詩です。
レオパルディ21歳の時の作品です。1819年ということに
なりまして、日本では塙保己一(はなわほきいち 1746~1821)が
群書類従(古典文学)を完成出版した年でもあります。
彼は盲目の国学者でした。
日本を訪れたことのあるヘレンケラーに勇気を与えた人です。
http://denhichi.blog105.fc2.com/blog-entry-105.html
ヘレンケラーの恩人塙保己一
お時間がある時にご覧になってください。
レオパルディの「無限」 と奇しくも時が重なったのでした。
(俳優、劇作家、詩人 1922 ~1975)
今年、生誕100年を迎えました。
彼について記事を書きたいのですが、
時間ばかり飛んで行ってしまって。
パゾリーニの言葉をラジオで伝えてくれたので
早速。
「音楽に定義はない。聞く側の環境や、習慣、
傾向や感情などで、同じ音楽でも違ってくる」
確かに!そう言われれば。
楽譜を理論付けることは出来ても、一旦、
オタマジャクシが空中に舞い出せば、
聴く側にお任せ、ということになりますものね。
詩や小説はその傾向が少ない、とは思いますが、
時折、神秘的な(平たく言いますと訳の解らない)
詩などがあって、その1つが、
レオパルディの「無限」です。
文学に携わる人も、これは謎の詩だ、と言っているので
確かに!ナゾの詩です。
高校生、必修の有名な詩ですが、
何がナゾかって、詩を詠った時のレオパルディの心境を
私も掴めません。
L'infinito
Sempre caro mi fu quest' ermo colle
e questa siepe, che da tanta parte
dell'ultimo orizzonte il guardo esclude.
Ma sedendo e mirando, interminati
spazi di là da quella sovrumani
silenzi e profondissima quiete
io nel pensiero mi fingo, ove per poco
il cuor non si spaura. E come il vento
odo stormir tra queste piante, il quello
infinito silenzio a questa voce
vo comparando: e mi sovvien l'eterno
e le morte stagioni, e la presente
e viva, e le suon di lei. Così tra questa
immensità s'annega il pensier mio:
e naufragar m'è dolce in questo mare.
昔、書いた記事を、そのまま再Upします。
時を分かたず大切だった この人気のない丘
座して眺むる
遠い彼方を遮る木々を
木々の向こうの
人智を超えた広がりと静寂(しじま)と
寂光を瞑想する
無を前に震わんとする私の心
風に揺らぐ、この木々の葉擦れの声に
無限静寂と常しえを想い
過ぎ去った昔の日々と永遠(とわ)を
生きている今日を
その声の中に想う
かくの如き無限の中に
私の思いは沈み込み
この広い海に心地良く呑み込まれる
ジャコモ・レオパルディ(1798~1837)
訳: 僭越ながらミルティリおばさん
"Il giovane favoloso" 「伝説の若き詩人」
レオパルディの若い頃を(と言ってもレオパルディは若くして亡くなって
しまいましたが)描いたジェルマーノ監督の作品がヴェネツィア映画祭に
出展されました。又イタリア系アメリカ人のフェラーラ監督による
「パゾリーニ」も出展されました。
金の獅子賞を獲得したのはスウェーデン映画「鳩」です。ヒューマニズム
悲喜劇です。
レオパルディを演じたのはマリオ・マルトーネ。
ジャコモ・レオパルディにしては美しすぎ、のきらいがあります。
マルケ州レカナーティで伯爵家に生まれたジャコモは
幼少時に脊椎側弯症、あるいは脊椎カリエスを患い、150cmに
満たない身の丈でした。せむしでした。
厳格な父親と、子供への情愛が薄い狂信家の母親に育てられました。
Mamme d'Italia とか言われてイタリアの母親は子供に情愛深く、
逞しいというイメージがあるのですが、時たまこういうお母さんが
いるんですよ。子供に無関心でまるで愛情を持ち合わせていないという。
そういう家庭の場合は父親と子供の結びつきが深くなります。
母親は狂信家というのは、勿論カトリック教信者です。
宗教というのは諸刃の剣、というより教えを受け取る側次第なので、
キリストの説法にある「種まき人の喩え」のように、当に
蒔かれる土地が重要なのですね。
モンゴメリーの夫は牧師さんでした。「赤毛のアン」はその土台に
良き宗教性がある、と思います。
「若草物語」の、姉妹達のお父さんが狂信家でした。
(これは物語を知っていないと分かり難いですね)
時は南北戦争、出征していて不在の父親(実際には宗教活動に
明け暮れて不在)なのですが、作中では出征に。
戦地からの父親の帰りを待つ4人姉妹と母親、家政婦さんらが
繰り広げる、時のアメリカ合衆国の、家庭、生活を描いていて
ひと頃、女の子のバイブルと言われた小説です。
ジョセフィン、ジョーと呼ばれる次女が、オルコット(作者自身)です。
彼女は「作中のお母様のことを万分の一も良く書けていない」
と言っているように、お母様は、
宗教を自分の中で豊かに培った人間性豊かな女性
だったのでしょうね。
このお母様には私も大変惹かれます。
レオパルディはお父つぁんも厳格、おっ母さんも宗教にばかり
夢中で子供にかまけない、で、小さな頃から人気のない丘に
逃避した、現実を逃避したのでしょう。しかし、もともと詩人の
普遍的傾向である孤独癖(孤独な魂)をも持ち合わせていた、
と解釈します。
上記の詩「無限」は高校生必修の詩です。
恐らくイタリアで一番有名な詩です。
レオパルディ21歳の時の作品です。1819年ということに
なりまして、日本では塙保己一(はなわほきいち 1746~1821)が
群書類従(古典文学)を完成出版した年でもあります。
彼は盲目の国学者でした。
日本を訪れたことのあるヘレンケラーに勇気を与えた人です。
http://denhichi.blog105.fc2.com/blog-entry-105.html
ヘレンケラーの恩人塙保己一
お時間がある時にご覧になってください。
レオパルディの「無限」 と奇しくも時が重なったのでした。
2022.05.19
過ぎ越し方の自分のブログを時たま読んでみて
結構、面白いと思われる記事もあります。
自画自賛(する程でもありませんが)とは、
ちょっと遠い気がいたします。
小ブログですが、
ここでは、こう書けば良かった、
もっと分かり易い書き方もあったものを、
という思い残りがあります。
しかし、私は今になって書き直すのは好きではありません。
1年前に書いた「雨の後」という
ジャンニ・ロダーリの詩を再Upいたしますね。
私の好きな詩です。
Dopo la pioggia.
Dopo la pioggia viene il sereno
brilla in cielo l'arcobaleno.
È come un ponte imbandierato
e il sole ci passa festeggiato.
È bello guardare a naso in su
le sue bandiere rosse e blu.
Però lo si vede, questo è male
soltanto dopo il temporale.
Non sarebbe più conveniente
il temporale non farlo per niente?
Un arcobaleno senza tempesta,
questa si che sarebbe una festa.
Sarebbe una festa per tutta la terra
fare la pace prima della guerra.
GIANNI RODARI
雨の後
雨の後に青空がやって来る
大空の中で虹が輝く。
旗で飾られた橋が出き
太陽は祝いながらそこを通る。
何て素敵なんだ
赤や青の旗を見上げるのは。
だけど残念なことなんだ
夕立の後にしか見ることが出きないのは。
雷雨が全くない方が
素敵なことだと思わないかい?
暴風雨なしの虹、
それこそ本当の喜びだ。
地上のもの全ての言祝ぎだ
戦争の前に平和を築くことは。
ジャンニ・ロダーリ
イギリスもまた、アイルランド欲しさから騒ぎ始めましたね。
イギリスはグレートブリテンと北アイルランドの連合王国ですが、
20数年前に、かなり不穏な騒がしさが長年に渡ってありました。
日本では報道されていたのでしょうか。
「まあ、可哀想に!」
「哀れなアイルランドの人たち」
「イギリスは悪い!」
なんて叫んでいたのですか。
イギリスとアイルランドも複雑な歴史の上に
成り立っています。
そもそもイギリスは昔から、よそ様の国を欲しがりますからね。
まあ、日本もそうだったのですけれど。
欲しがるからには、何ら利益があるのでしょうね。
グリーンスリーヴス幻想曲 = ヴォーン・ウィリアムズ
こんな名曲を生み出した国ですのにね。
結構、面白いと思われる記事もあります。
自画自賛(する程でもありませんが)とは、
ちょっと遠い気がいたします。
小ブログですが、
ここでは、こう書けば良かった、
もっと分かり易い書き方もあったものを、
という思い残りがあります。
しかし、私は今になって書き直すのは好きではありません。
1年前に書いた「雨の後」という
ジャンニ・ロダーリの詩を再Upいたしますね。
私の好きな詩です。
Dopo la pioggia.
Dopo la pioggia viene il sereno
brilla in cielo l'arcobaleno.
È come un ponte imbandierato
e il sole ci passa festeggiato.
È bello guardare a naso in su
le sue bandiere rosse e blu.
Però lo si vede, questo è male
soltanto dopo il temporale.
Non sarebbe più conveniente
il temporale non farlo per niente?
Un arcobaleno senza tempesta,
questa si che sarebbe una festa.
Sarebbe una festa per tutta la terra
fare la pace prima della guerra.
GIANNI RODARI
雨の後
雨の後に青空がやって来る
大空の中で虹が輝く。
旗で飾られた橋が出き
太陽は祝いながらそこを通る。
何て素敵なんだ
赤や青の旗を見上げるのは。
だけど残念なことなんだ
夕立の後にしか見ることが出きないのは。
雷雨が全くない方が
素敵なことだと思わないかい?
暴風雨なしの虹、
それこそ本当の喜びだ。
地上のもの全ての言祝ぎだ
戦争の前に平和を築くことは。
ジャンニ・ロダーリ
イギリスもまた、アイルランド欲しさから騒ぎ始めましたね。
イギリスはグレートブリテンと北アイルランドの連合王国ですが、
20数年前に、かなり不穏な騒がしさが長年に渡ってありました。
日本では報道されていたのでしょうか。
「まあ、可哀想に!」
「哀れなアイルランドの人たち」
「イギリスは悪い!」
なんて叫んでいたのですか。
イギリスとアイルランドも複雑な歴史の上に
成り立っています。
そもそもイギリスは昔から、よそ様の国を欲しがりますからね。
まあ、日本もそうだったのですけれど。
欲しがるからには、何ら利益があるのでしょうね。
グリーンスリーヴス幻想曲 = ヴォーン・ウィリアムズ
こんな名曲を生み出した国ですのにね。
2022.03.21
「詩の日」(la Giornata Mondiale della Poesia)は、
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が定めた日です。
どうして定めたのかと言いますと、
詩という文学が、あまり評価されていない、
詩の本の売れ行きが悪い、ということから、
1999年にユネスコが詩を盛り上げよう、ということで
3月21日を「詩の日」としました。
丁度、イタリアでは春になる日、春入りの日です。
春分の日でもありますね。
そこで、
タゴールの詩とヘッセの詩を。
Scintille, Rabindranath Tagore
Vieni, primavera, vieni
a svelare la bellezza del fiore
celata nel bocciolo
tenero e delicato.
Lascia cadere le note
che porteranno i frutti,
e passa con cura il tuo pennello
d’oro di foglia in foglia.
春よ来い、春よ来い
たおやかで柔らかな
蕾を隠した
花々の美しさを
現しておくれ。
散る行く花びらはそのままに、
やがて実を結ぶのだから。
葉から葉へ
お前の黄金の絵筆で愛でておくれ。
Piena fioritura, Hermann Hesse
Si erge carico di fiori il pesco,
non tutti diventeranno frutto.
Risplendono chiari come spuma rosata
attraverso l’azzurro e la fuga di nuvole.
Simili a fiori si schiudono i pensieri,
centinaia ogni giorno,
lasciali fiorire! Lascia a ogni cosa il suo corso!
Non chiedere qual è il guadagno!
Vi deve pur essere gioco e innocenza
e dovizia di fiori,
altrimenti per noi sarebbe
troppo piccolo il mondo
e la vita non un piacere.
桃の花が咲きこぼれる、
全てが実となりはしない。
青空と流れる雲の中、
桜色の泡のように煌めく。
幾百もの毎日の思いが花開くように、
花は咲くままにしておこう!
あらゆる物事はなすがままにしよう!
利を求めずに!
花の豊かさと無垢に戯れよう、
でなければ、私達には
世界は小さく
人生はつまらぬものだ。
ヘッセは訳しているうちに、どうも箴言めいて来ます。
イタリア語でも、韻を詠んでいて、
音色は綺麗なのですけどね。
こんなところで、僭越なことでした。
難しい詩ではないです。
どうぞ、お訳しなさってください。
タゴールもヘッセも、2人とも「春」を描いています。
ヘッセの詩はイタリア語で紹介されていました。
ドイツ語でも探してみますが、
存じ上げない詩でした。
ヘッセもタゴールも、どちらも詩の底に、
暖かさ(ヒューマニズム)が流れていますが、
タゴールの方が解放的で絵画的、
より大きな人生肯定、人間肯定を謳っているように
見えます。
ベートーヴェンの春と、
Beethoven - Primavera (Spring/Frühling)
シューベルトの春です。
Schubert - "Frühlingsglaube" Fischer-Dieskau, Moore
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が定めた日です。
どうして定めたのかと言いますと、
詩という文学が、あまり評価されていない、
詩の本の売れ行きが悪い、ということから、
1999年にユネスコが詩を盛り上げよう、ということで
3月21日を「詩の日」としました。
丁度、イタリアでは春になる日、春入りの日です。
春分の日でもありますね。
そこで、
タゴールの詩とヘッセの詩を。
Scintille, Rabindranath Tagore
Vieni, primavera, vieni
a svelare la bellezza del fiore
celata nel bocciolo
tenero e delicato.
Lascia cadere le note
che porteranno i frutti,
e passa con cura il tuo pennello
d’oro di foglia in foglia.
春よ来い、春よ来い
たおやかで柔らかな
蕾を隠した
花々の美しさを
現しておくれ。
散る行く花びらはそのままに、
やがて実を結ぶのだから。
葉から葉へ
お前の黄金の絵筆で愛でておくれ。
Piena fioritura, Hermann Hesse
Si erge carico di fiori il pesco,
non tutti diventeranno frutto.
Risplendono chiari come spuma rosata
attraverso l’azzurro e la fuga di nuvole.
Simili a fiori si schiudono i pensieri,
centinaia ogni giorno,
lasciali fiorire! Lascia a ogni cosa il suo corso!
Non chiedere qual è il guadagno!
Vi deve pur essere gioco e innocenza
e dovizia di fiori,
altrimenti per noi sarebbe
troppo piccolo il mondo
e la vita non un piacere.
桃の花が咲きこぼれる、
全てが実となりはしない。
青空と流れる雲の中、
桜色の泡のように煌めく。
幾百もの毎日の思いが花開くように、
花は咲くままにしておこう!
あらゆる物事はなすがままにしよう!
利を求めずに!
花の豊かさと無垢に戯れよう、
でなければ、私達には
世界は小さく
人生はつまらぬものだ。
ヘッセは訳しているうちに、どうも箴言めいて来ます。
イタリア語でも、韻を詠んでいて、
音色は綺麗なのですけどね。
こんなところで、僭越なことでした。
難しい詩ではないです。
どうぞ、お訳しなさってください。
タゴールもヘッセも、2人とも「春」を描いています。
ヘッセの詩はイタリア語で紹介されていました。
ドイツ語でも探してみますが、
存じ上げない詩でした。
ヘッセもタゴールも、どちらも詩の底に、
暖かさ(ヒューマニズム)が流れていますが、
タゴールの方が解放的で絵画的、
より大きな人生肯定、人間肯定を謳っているように
見えます。
ベートーヴェンの春と、
Beethoven - Primavera (Spring/Frühling)
シューベルトの春です。
Schubert - "Frühlingsglaube" Fischer-Dieskau, Moore
2022.03.02
反戦詩人、反戦作家のジャンニ・ロダーリの
わらべ歌です。
La filastrocca di Gianni Rodari
Chissà se la luna
di Kiev
è bella
come la luna di Roma,
chissà se è la stessa
o soltanto sua sorella…
Ma son sempre quella!
– la luna protesta –
non sono mica
un berretto da notte
sulla tua testa!
Viaggiando quassù
faccio lume a tutti quanti,
dall’India al Perù,
dal Tevere al Mar Morto,
e i miei raggi viaggiano
senza passaporto
キエフの月も、
ローマの月のように
美しいと
誰が知ってるだろう
月はただ姉妹なんだと
誰が知ってるだろう・・・
私はいつでも月だ!と、
-月は抗議する-
夜の頭に
載せる、私は、
君たちのベレー帽じゃないんだ
インドからペルー、
テベレから死海、と、
君たちみんなを
照らしながら
パスポートなしで、
私の光は旅するんだ
1960年に出版された、
ジャンニ・ロダーリの詩です。
長い歴史上でも、1960年のその頃も
ウクライナは問題を抱えていたのですね。
Harp Quintet in C minor - E.T.A. Hoffmann
ホフマンの「ハープ五重奏曲」です。
Vladimir Horowitz plays Liszt Consolation No 3
リストの「慰め 3番」です。
月の言葉を男の子っぽくしましたが、
月はイタリアでは女性名詞です。
la luna 月
la stella 星 複数形で、le stelle
il sole 太陽
filastrocca, フィラストロッカは、
童謡、わらべ歌という意味もありますが、
たわごと、戯れ、あるいは
ギャグという意味もありますです。
わらべ歌です。
La filastrocca di Gianni Rodari
Chissà se la luna
di Kiev
è bella
come la luna di Roma,
chissà se è la stessa
o soltanto sua sorella…
Ma son sempre quella!
– la luna protesta –
non sono mica
un berretto da notte
sulla tua testa!
Viaggiando quassù
faccio lume a tutti quanti,
dall’India al Perù,
dal Tevere al Mar Morto,
e i miei raggi viaggiano
senza passaporto
キエフの月も、
ローマの月のように
美しいと
誰が知ってるだろう
月はただ姉妹なんだと
誰が知ってるだろう・・・
私はいつでも月だ!と、
-月は抗議する-
夜の頭に
載せる、私は、
君たちのベレー帽じゃないんだ
インドからペルー、
テベレから死海、と、
君たちみんなを
照らしながら
パスポートなしで、
私の光は旅するんだ
1960年に出版された、
ジャンニ・ロダーリの詩です。
長い歴史上でも、1960年のその頃も
ウクライナは問題を抱えていたのですね。
Harp Quintet in C minor - E.T.A. Hoffmann
ホフマンの「ハープ五重奏曲」です。
Vladimir Horowitz plays Liszt Consolation No 3
リストの「慰め 3番」です。
月の言葉を男の子っぽくしましたが、
月はイタリアでは女性名詞です。
la luna 月
la stella 星 複数形で、le stelle
il sole 太陽
filastrocca, フィラストロッカは、
童謡、わらべ歌という意味もありますが、
たわごと、戯れ、あるいは
ギャグという意味もありますです。