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全てを笑いでひっくり返せ、

タイトルは「全てを笑いでひっくり返せ」です。
おかしなタイトルになっています。訂正出きないのです。

これも書こう、あれも書こう、と思っているうちに
200年祭ももう終わりです。
あれこれお話したかったんですよ、ペッピーノ、
ボッカッチョも生誕700年なんですよね。
全く触れられませんでした。でも、ボッカッチョも、
ペッピーノも逃げてしまわないから、又の機会に
お会いしましょう。

イル・トロヴァトーレ(3作の中で音楽がとてもきれいです)
ラ・トラヴィアタ(椿姫、第2幕が気持ちの痛む幕で、特に
ジェルモンとヴィオレッタの2重唱)
シチリアの晩鐘、とこの辺りを行ってみたかったのです。

リゴレットやドン・カルロはユーゴの「リゴレット」
シラーの「ドン・カルロ」と思わずに、ヴェルディの「リゴレット」
ヴェルディの「ドン・カルロ」として見聞きする方がいいです。

アイーダを1870年に公演した後、1887年オテロ(オセロ)まで
ヴェルディはペンを断っていました。お金もあり悠悠自適に
暮らしてもいたのでしょう。その間あれこれ音楽上の技法を考えた、
とも言われますがね。
ヴェルディはワーグナーを嫌いだったと言う人もいますが、
ワーグナーが亡くなった折に手紙を友人に書いています。
ワーグナーの死を悼む非常に丁重な手紙です。
又、ヴェルディの手紙は質が高いと定評があります。
ベートーヴェンを非常に敬愛していましたが、Raiでは決して言わない
でしょう。

シェイクスピアも又敬愛していました。
「オテロ」はワーグナーの影響を受けた作品だと言う人もいますが、
それまでの作品が積み重ねられた上に花開いた作品であると、いう見方に
私は同意します。何と言っても声、言葉が主役ですしね。
声が主役である限り、当然オーケストラは伴奏風になってしまいますしね。
イタリアは朗誦、ドラマ、舞台劇の国でしょう。

1893年、80歳のヴェルディは「ファルスタッフ」を発表します。
音楽は益々磨かれ粋の域に達しました、ヴェルディの最高傑作オペラです。
シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房達」、アリーゴ・ボイートが
脚本を書きました。
とても太った老騎士のファルスタッフが2人の人妻に同時に恋文を出す。
奥さん達はその恋に応えるふりをして、友人や娘も交えてファルスタッフを
散々な目に遭わせます。(テームズ河に投げ込んだりね)
森の中に誘い出して、そこでも彼を愚弄します。
「ヴェニスの商人」もそうですが、悪者にここまでしなくてもなぁ、と
思ったり致します。
それでもアリチェ夫人の機知で彼女の夫に無理やりにドクターと
結婚させられようとしていた娘は恋人と結婚することが出き、
目出度し目出度し。

最後のフーガでファルスタッフが歌い始めます。
「Tutto nel mondo è burla. L'uomo è nato burlone」
この世の全ては戯れ事、人間は戯れ者

死をも愚弄して笑おう、最後には大笑い、大笑いしよう!


パルジファル

とうとうワーグナー、端折りまくって200年祭も
終わってしまいます。でも彼の音楽は終わりにならないので
機会があったら又書かせてもらいます。

では行ってみます、
ワーグナーの最後であり最高傑作の「パルジファル」。
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの小説「パルツィファル」を
基にして、いつものように脚本、美術、演出などは彼自身です。

一言で申しますと神話であり、宗教祝典劇で、暮れというより
復活祭のオペラ、聖金曜日のオペラです。

山の頂上に建てられた城、モンサルバート、そこの城主ティトゥレルは
天から聖杯と聖槍を授かり、それを守るべく寺院を建てます。
彼の息子のアムフォルタス、グルネマンツら騎士が聖槍と聖杯を守って
います。聖杯はキリストと弟子達との最後の晩餐にキリストが飲んだ
葡萄酒の杯、聖槍はキリスト磔刑の時に脇腹を刺した槍。
これらを守っていたのですが、敵対する魔法を使うクリングゾルと、彼に
魔法をかけられたクンドリーに誘惑されたアムフォルタスは聖槍を奪われた
挙句、その槍で傷を負ってしまう。その傷から絶えず血が流れ出ています。
「彼を救えるのは聖なる愚か者」だと予言され、果たして愚かな青年は
現れた。
彼の名はパルジファル、聖槍を取り戻しその槍でアムフォルタスの傷に
触れると忽ち傷は癒えた。槍を掲げると一羽の鳩が彼の頭上に舞い降りた。
居合わせたクンドリー(彼女一人が劇中、女性です)は息絶えて救われた。

これが大体の粗筋です。
1877年から書き始め(着想はもっと前からです)、
初演が1882年バイロイトです。書いていたのはイタリアで、
聖杯と聖槍を守る寺院はシェーナの大聖堂をリッチは
念頭に置いていました。
第2幕のクリングゾルの魔法の庭園、これはサレルノ近く、
ラヴェッロのルフォーロ庭園です。
パレルモでオペラを書き終えました。翌年ヴェネツィアで亡くなります。

粗筋だけサッと読んでもあまり面白いと思えないのですが。

ニーチェは嫌いなオペラです。「十字架の下にひれ伏した」
なんて言ってます。
もともとワーグナーとニーチェは友人のはずですけどね。
その割にはワーグナーに対峙する他の作曲家を引っ張って来て
掲げたりもしています。

ヒットラーは国家社会主義(ナチズム)のオペラとパルジファルを
評しています。これはヒットラーの我田引水でしょう。
あまり音楽に素養がなかったのでしょう。
某タレントがヒットラーと靖国神社を並べていましたが、これは日本よりも
ドイツ、オーストリアから締め出されるよ。メルケルさんに怒られますよ。
(メルケルさんもちょっと理解出来ない所があるけれど)
ヒットラーをやたら持ち出すな、と。

作家の方達、その中で曽野綾子さんしか思い出せないのですが(すみません)
ワーグナーを聴きながら執筆するのだそうです。
これは分かります。私はドビュッシーを聴きながらですけどね。尤も、
曽野綾子さんや作家の方達のような大それた仕事をしているわけではありません。
ワーグナーの音楽はミッドα波を引き出してくれるのではないかしらね。
パルジファルはキリスト教音楽(グレゴリウス聖歌)も含んでいますが、
同時にショーペンハウアーの東洋哲学(ショーペンハウアーは鈴木大拙とも
親交がありました)の影響で仏教とも関わっていて、
ニルヴァーナ(涅槃)に近い音楽という風に言われます。
これは賛同します。そして、彼の最高傑作です。



ローエングリンとオルフェウス その3

「ローエングリン」は若い時代のワーグナーの最後のオペラと
言われます。ギリシャ神話、エッシェンバッハの中世叙事詩
(中世ゲルマン神話)、ルーカスの文献、グリム兄弟の作品
などから物語を抽出し、(つまりゴッタ煮ですね)
ゴッタ煮の煮物から自分の汁味を創り出しました。
で、名うての料理人ワーグナーはどのように調理したかというと、

3幕に仕分けして、先ず第3幕から作曲し始めました。
次に第1幕、その後第2幕、最後に前奏曲と、この順序で
作りました。
この曲以前には彼のオペラも番号制を取り入れていました。
アリア、重唱、合唱などに全て番号を振って一つ一つを区切った
もので、番号オペラと言われていますか。
1曲アリアを歌い終わると「ブラーヴォ」、重唱が終わると
「ビース、ビース」、これが又いいのですが、ちょっと
邪魔な時もある。ローエングリン、タンホイザーから以降は
全一幕拍手に途切れないので少々疲れますが、集中して観る事が
出きます。

ブラバント公国を継ぐべきエルザとその弟ゴットフリートは
まだ若いゆえ、ハインリッヒ王が伯爵のテルラムント
とその妻のオルトルートに保護を言いつけます。
ところが弟ゴットフリートは行方知れず。
エルザと森へ行った時にいなくなってしまったのです。
エルザが殺害したと罪を着せられています。
王はエルザを非難するテルラムントとエルザに剣によって
神の裁断を受けるかと尋ねると2人は承諾する。

そこへ白鳥に導かれた船に乗って、河に現れるたのが謎の騎士、
実は円卓の騎士(cavaliere della Tavola rotonda) の息子
パルシファルの息子で、エルザに味方する。闘いに挑む前に
「自分が勝ったらエルザと結婚する、しかし決して自分の名と
出自を尋ねてはいけない」という旨をエルザに承諾させます。
騎士はテルラムントを負かす、が生命は助けました。
エルザは晴れて無罪となりました。
が、テルラムントとオルトルートは白鳥の騎士の名前と素性を
聞けとエルザを唆します。彼女自身知りたい欲望に耐え切れなくなり、
婚礼の晩に遂に尋ねてしまう。その時、
テルラムント及び一味の者が侵入して来るが、騎士は一刀のもとに
切り捨てる。
王の前に出た騎士は名と身分を明かす。
「我こそは遠から者は音に聞け、」 戦いはもう終わってますよ。
「我こそは遠き国で聖杯を守るパルシファルの子、
ローエングリンじゃ!」
エルザ一同「ヒョエーッ!」
「身分を明かしたから、もう私の神通力は消えてしまった!
あと1年勤めを果たせば人間になれたものを!」
とローエングリンは船でどこぞへか去って行く。
彼を連れて来た白鳥は実はオルトルートの妖術で姿を変えられていた
エルザの弟、ゴットフリートでした。
弟は人間に戻りました! でもローエングリンが行ってしまった。

第3幕の始めの合唱曲「結婚行進曲」、これはよく耳になさる
音楽でしょう。ワーグナーはこの曲から創作し始めたのですね。
メンデルスゾーンの「結婚行進曲」と共に有名ですね。
リッチは合唱を有効に使っとります。ウェディング・コーラスも勿論、
第1幕2場、フィナーレ、など筋の運びに加わるか、劇に反応する
聴衆の役割をしています(ギリシャ劇のように)
コーラスの重要性、合唱効果をグルックの「オーリドのイフィジェニー」
から学びました。でもリッチ、彼はユダヤの人だよ。
(それは又、別の折にね)

王様登場の際には4人の天使が特別あつらいのトロンボーンを吹き
鳴らします。アイーダ凱旋行進曲では特別仕立ての(管をまっすぐにした
長い)トランペットを吹き鳴らしますね。
ライトモティーフも又有効に使われとります。「禁じられた問い」の
モティーフなどですね。
作曲が最後になった前奏曲は、耳になさることがおありでしょう。
主題を並べた壮大なソナタ形式です。

童話風なお話ですが、ローエングリンは聖なる愛を、エルザは人間の
弱さを表わしているのだそうです。そしてリッチは芸術家の深い孤独と
精神の中の天上の輝きをローエングリンに託したのでありました。

「俗世を離れた孤独の世界、至上の、限りなく広い光輝く世界に
類稀な快楽と躍動する精神の理想とが波打っている。」
ボードレールがこのオペラを評した言葉です。




ローエングリンとオルフェウス その2

オルフェオはイタリアの呼び方です。
17世紀のヴェネツィア学派モンテヴェルディの「オルフェオ」は
古いオペラ(後期ルネッサンス)の頂です。
ほんに沢山の作曲家がオルフェオを書いとります。
中でもモンテヴェルディとグルックのオルフェオが有名でしょう。
グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」の初演は1762年、
ウィーンでした。
神話の内容とは少し違っていて、黄泉の国から地上への件(くだり)で
エリがせっせと前へばかり進み自分を見てくれないオルフィーを疑い、
「あんた、もう私を愛してないんでしょう、それなら又私は黄泉に戻る」
と責め立てる言葉にたまらずに振り向いてしまう。
筋書きが2本用意されていて、そのままエリを失う、
この時のアリア「Che farò senza Euridice?」 
「エウリディーチェ失くして何をしよう?」 この曲に最高の評価を
与える人もいます。
今1つの筋書きはそこへアモーレが現れてエリを蘇らせます。

イタリア・オペラのメロディーの外面的な魅力を捨てて、内面の泉を
美しく湧き立たせた、ということにより革新的なオペラと言われます。
古代ギリシャの彫像のように落ち着いて調和に満ちたオペラ
とも言われます。モンテヴェルディとグルック、
どちらも聴く価値ありのオペラなので是非お聴きになってみて下さい。

グルックはフランス王妃マリー・アントワネットの少女(王女)時代に
声楽を教えていました。後、王妃はグルックの手助けをします。

時に日本でのオペラ初演は1914年。グルックの「オルフェオ」が
森鴎外の訳しで歌われました。確か三浦環さんがエウリディーチェを
歌ったはずです、って言っても彼女の名前知ってる方、
いらっしゃるのかな。

オルフィーが竪琴を携えた姿、あるいは妻のエウリディーチェと共に
歩く姿など多くの画家が描きました。ジョン・ダンカン、レヴィ、
コローなど。
悲劇の最後を遂げた彼の竪琴は天上に飾られ、琴座となりました。
べガ(織姫星 1等星)と共に輝く平行四辺形の星座です。

見てはいけない、振り返ってはいけない、と禁止されているのに
何故見るのかな、と昔は不思議でしたが、その後
何故そういう理不尽な禁止条令を出すのかが不思議となりまして、
これは他者の誠意を試しているのだと自己納得致しました。

イヴも禁じられている無花果を食べた挙句、アダムにも食えと勧める。
同じく創世記でロトの妻が振り返るなと言われていたのに、
ソドムの町を振り返り塩になってしまう。

ローエングリンは妻となる恋人エルザに、決して自分の名前と
素性を尋ねるなと禁ずる。これは理不尽ですね。
氏素性の分からない人と誰が結婚しますか。
このお話はメルヒェンだから、それもありなのでしょうね。




ローエングリンとオルフェウス

高天原に五柱の神々がお生まれになった後に、
イザナギ(伊邪那岐神)とイザナミ(伊邪那美神)が
お生まれになりました。男と女の神様です。
お2人は天の浮橋に立って沼矛で、油のように漂う国を
かき回すうちに、滴る雫が積もってオンゴロ島になりました。
お2人はそこに下りて結婚し、14の島々と35柱の神を産みます。
最後に火の神を産んで火傷したイザナミは亡くなり
黄泉の国へ行ってしまいました。
イザナギは大変悲しんで妻の後を追って黄泉の国に出かけます。

「戻っておいで、お前がいなければ私は生きて行けないよ。」
「あなたと共に参りますから、そこへ行くまで決して私を
見ないでね。」
待っていたのですが、待ちくたびれたイザナギは
「何をしているのだろう?」と妻をそっと覗きに行きます。
ヒョエ~ッ! わ、私の妻は恐ろしい姿になっている!
こ、怖い!
「見るなと言うたに何故見たんだ? 裏切り者め!」
イザナミは逃げる夫を醜女と共に追いかけます。
「待てーっ!」
「うわぁ、助けて!」
やっとこさっとこ黄泉の国と神の国との間に大きな岩を置いて
逃げ出しました。岩の向うでイザナミが
「お前の処で生まれる子供を毎日千人ずつ亡き者にしてくれよう」
「ならば私は千五百人ずつ生んでくれる」

ここまで来ると、これは悲劇でなく喜劇ですね。
西洋にも似た話がありますが、日本の神話、古事記は
楽しいと言ったら言い過ぎですが、滑稽さがありますよ。

エロス(キューピッド、神)とプシュケー(人間の女性)、
ローマ神話ですが、夫婦になった彼らの間にも見てはいけない、
という禁断が存在します。夜、エロスの寝顔を決して見てはならない、
禁止事項に反してプシュケーは見てしまいます。
この話は最後はめでたし、です。

ギリシャ神話のパエトーンはアポローンの息子でした。
オルフェウスも又アポローンの息子でした。
オルフェウスの場合は父さんが2人、オイアグロスという説も
あります。母さんはミューズ(9人の芸術の女神)の1人である
カリオペです。
従ってオルフィーは音楽の達人、竪琴の達人、いえ、達神ですか。
竪琴を鳴らしながら詩を歌えば、神も人も魅せられ、小鳥も石ころも
彼の後を追い、川の水も流れを止めてその詩に聴き入ったのだ
そうです。
ある日エウリュディケ(妖精)に恋をしました。
結婚したお2人は仲睦まじく暮らします。所が、エウリュディケは
毒蛇に噛まれて黄泉の国へ行ってしまいました。
嘆き悲しむオルフェウス、
「そうだ! エリを取り戻しに行こう!」

黄泉の国の王ハーデスは「エリを連れて帰れ、しかし1つだけ守れよ、
地上に着くまで決して彼女を振り返ってはいけない。
2度まではわしはお前の頼みを聞けんぞ」
エウリュディケは彼の後からついて来るのですが、
背後に妻の気配が感じられない、「おかしいな、本当について来てる
のかな?」疑惑がオルフィーの中に膨れ上がります。そして、
とうとう地上にもう1歩という所で振り返ってしまった。
エリはいた、でももう彼の手には2度と帰らなかった。

オルフェオとエウリディーチェ、
多くの作曲家がこの話をオペラにしています。
ペーレの「エウリディーチェ」は、フィレンツェで
メディチ家のマリア姫とフランスのアンリ4世の結婚祝いの為に
上演した、最古のオペラです。
結婚式祝オペラですからオルフィーとエリは何事もなく地上に戻り
めでたしめでたし!です。
ストラビンスキーのバレー曲「オルフェオ」
リストの交響詩「オルフェオ」
「黒いオルフェ」という映画もありますね。
随分モテるのね、オルフィー。

書き切れなくなりました、又明日ね!
おやすみオルフィー。

プロフィール

ミルティリおばさん

Author:ミルティリおばさん
住まいはイタリア、ペルージャです。
翻訳 フリーランサーです。

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