2013.07.22
サントゥッツァはヴェルガの小説の中では脇役です。
トッツェッティ、メナーシ、マスカー二が彼女を格上げして
主人公にしたのです。彼女のアリア(ロマンザ)
Voi lo sapete o mamma, ヴォーイ ロ サペーテ オ マンマ、
「おっ母さん、知ってるでしょう」
シチリアやサルデーニャではお姑さんのこともマンマと呼ぶ
そうです。日本もそうですね。
ただtu でなくvoi と呼びかけていますね。(昔だから)
この歌は小唄風に歌っても、演歌風に歌っても素敵だと
思います。
おっ母さんと息子のトゥリッドゥはワイナリーを
経営しているものだから
最後の方でBrindisi 乾杯の歌があります。乾杯といえば
ヴェルディの椿姫の「乾杯の歌」が知名度が高いですが
このBrindisi(ブリンディシ) もなかなかいいですよ。
決闘を申し込まれたトゥリッドゥは、やはりマンマ、マンマと
歌う。マンマ、サントゥッツァをお願いね、
そして恋敵の(これはトゥリッドゥが悪い)刃に倒れ
一幕もののオペラ(田舎騎士道、郷土の騎士作法)は幕となります。
マスカー二ですと個人的には、3幕のコメディーオペラ
「Amico Fritz」アミーコ・フリッツがお気に入りです。
大きな農場で繰り広げられる領主と農家の娘スズェルの恋のお話。
スズェルの歌うアリア、Son pochi fiori, povere viole
ソン ポーキ フィオーリ、ポーヴェレ ヴィオレ
「ほんの少しの花束を、可憐な菫です」 この歌は技巧的では
ないけれど、オペラをよく知っていないと歌い難いでしょう。
Alsazia アルザスが舞台となっています。
普仏戦争、プロイセンとフランスで取り合いっこした地域ですね。
バーデン・ビュルテンベルクの近くでもありまして、
ドーデの月曜物語「最後の授業」の地でもあります。
お互いに地域を占領しても言葉まで占領しなかったでしょう。
勿論、相手国の言葉を覚えなければ生活しづらかったとは思います。
ドーデはノンフィクションでなしにフィクションとして小説を書き
祖国愛と母国語への愛情を著わしたのではないですか。
アメル先生が感極まって泣く場面はやはり心が締め付けられます。
志賀直哉さんはとんでもない事を仰っていますが、
平安朝文学、樋口一葉や中勘助の「銀の匙」などを楽しまれなかった
のでしょうか?
母国語であっても掌中に治めて自由自在に駆使できれば・・・
いいですね。
※志賀直哉の「國語問題」から
戦後の混乱期に雑誌に記したものです。
「日本は思い切って世界中で1番美しい言葉を國語に
採用したらどうか? フランス語がいいと思う。
何故なら仏語は世界で一番美しい言語で、フランスは
文化の進んだ国であり、日本と合い通じるものがある」
フランス語が美しいというのは否定しませんがね。
特に発音が耳触りがいいですよね。
仏語は伊語と似ているから、フランス文を読んで
60~70%は解ります。
言葉は使い方でしょう。
イタリア語に関して言えば、汚い言葉も多々ありますよ。
しかしダンテからボッカチョ、マンゾーニ、パスコリ、
レオパルディを、エーコをロダーリをズベーヴォを
産んだ国です。
イタリア語でない他の原語を国語にしようという話は
聞いた事がない。
トッツェッティ、メナーシ、マスカー二が彼女を格上げして
主人公にしたのです。彼女のアリア(ロマンザ)
Voi lo sapete o mamma, ヴォーイ ロ サペーテ オ マンマ、
「おっ母さん、知ってるでしょう」
シチリアやサルデーニャではお姑さんのこともマンマと呼ぶ
そうです。日本もそうですね。
ただtu でなくvoi と呼びかけていますね。(昔だから)
この歌は小唄風に歌っても、演歌風に歌っても素敵だと
思います。
おっ母さんと息子のトゥリッドゥはワイナリーを
経営しているものだから
最後の方でBrindisi 乾杯の歌があります。乾杯といえば
ヴェルディの椿姫の「乾杯の歌」が知名度が高いですが
このBrindisi(ブリンディシ) もなかなかいいですよ。
決闘を申し込まれたトゥリッドゥは、やはりマンマ、マンマと
歌う。マンマ、サントゥッツァをお願いね、
そして恋敵の(これはトゥリッドゥが悪い)刃に倒れ
一幕もののオペラ(田舎騎士道、郷土の騎士作法)は幕となります。
マスカー二ですと個人的には、3幕のコメディーオペラ
「Amico Fritz」アミーコ・フリッツがお気に入りです。
大きな農場で繰り広げられる領主と農家の娘スズェルの恋のお話。
スズェルの歌うアリア、Son pochi fiori, povere viole
ソン ポーキ フィオーリ、ポーヴェレ ヴィオレ
「ほんの少しの花束を、可憐な菫です」 この歌は技巧的では
ないけれど、オペラをよく知っていないと歌い難いでしょう。
Alsazia アルザスが舞台となっています。
普仏戦争、プロイセンとフランスで取り合いっこした地域ですね。
バーデン・ビュルテンベルクの近くでもありまして、
ドーデの月曜物語「最後の授業」の地でもあります。
お互いに地域を占領しても言葉まで占領しなかったでしょう。
勿論、相手国の言葉を覚えなければ生活しづらかったとは思います。
ドーデはノンフィクションでなしにフィクションとして小説を書き
祖国愛と母国語への愛情を著わしたのではないですか。
アメル先生が感極まって泣く場面はやはり心が締め付けられます。
志賀直哉さんはとんでもない事を仰っていますが、
平安朝文学、樋口一葉や中勘助の「銀の匙」などを楽しまれなかった
のでしょうか?
母国語であっても掌中に治めて自由自在に駆使できれば・・・
いいですね。
※志賀直哉の「國語問題」から
戦後の混乱期に雑誌に記したものです。
「日本は思い切って世界中で1番美しい言葉を國語に
採用したらどうか? フランス語がいいと思う。
何故なら仏語は世界で一番美しい言語で、フランスは
文化の進んだ国であり、日本と合い通じるものがある」
フランス語が美しいというのは否定しませんがね。
特に発音が耳触りがいいですよね。
仏語は伊語と似ているから、フランス文を読んで
60~70%は解ります。
言葉は使い方でしょう。
イタリア語に関して言えば、汚い言葉も多々ありますよ。
しかしダンテからボッカチョ、マンゾーニ、パスコリ、
レオパルディを、エーコをロダーリをズベーヴォを
産んだ国です。
イタリア語でない他の原語を国語にしようという話は
聞いた事がない。