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indovinello クイズ

クイズです。
日本の歌手の歌を訳してみました。
日本語で書きませんでイタリア語で書くので
誰の歌か当てて下さい。
当たった方は7日間ハワイ旅行にご招待!
ということは全くありません。
が、挑戦してみてね!
シンガーソングライターの歌です。

All'ombra del palazzo di scuola,
Sul prato, ero attratto dal cielo.
Suonava la campana, e mi sedevo sempre
allo stesso posto nell'aula.

Pensavo a che cosa seguo, e a che debbo
seguire.
Il cuore si agitava, quando dentro di me
scrutavo ciò che non significasse nulla.

Dopo la scuola andavamo a zonzo per la città
nel vento.

Camminavamo tristemente con gli occhi solitari.
Le risate ed i sospiri si confondono in un
negozio,
Gareggiavamo i punteggi più alti dei giochi di
Pinball.
Continuavamo a chiacchierare,
Il cuore stancato è stimolato da piccole cose
esagerate.

Non potevamo essere pedanti e seri.
Nella notte giravamo rompendo le finestre di
scuola.
Continuavamo a protestare e opporci.
Presto volevamo diventare liberi.

Nella lotta contro adulti tolleranti,
Che mai comprendiamo e perdoniamo?
Sono passato comunque, sentendomi la noia.

Una cosa che capivo, è la conclusione scolastica
dell'ordine.

Riscaldavamo tutti, quando ascoltavamo
il racconto del litigio di un tale.
Volevamo sapere la sua forza.
Credevamo caparbiamente solo il potere,
Mostravo anche ai amici il mio potere,
anche se offende alcuni.
Convincevo me stesso di essere sconfitto
nell'obbedire.

Ben presto si innamoravano,
Siamo rapiti solo dalle parole d'amore e
dall'amore ideale.
Credevo sodo a un amore puro, anche se dicono,
che dobbiamo essere astuti per vivere.

Che cosa è più importante?
Amore o calcolare per la vita?

Vattene via all'inferno, la pedanteria e
la serietà!
Giravamo nella notte rompendo le finestre
di scuola.
Volevamo presto essere liberi.

Nella lotta contro adulti intolleranti,
Che mai comprendiamo e perdoniamo?
Sono passato comunque, sentendomi la noia.
Una cosa che capivo, è la conclusione scolastica
dell'ordine.

Dopo la conclusione, che cosa restano oltre
i ricordi?
Come tutti siamo vincolati deboli agnelli,
così voi siete i portavoce di deboli adulti,
Professori?

A dove rivolgiamo la nostra rabbia?
D'ora in poi che cosa ci vincolerà?
Quante conclusioni servono a capire a fondo
di se stesso?

Nessuno si accorge della libertà limitata.
Finiranno i giorni di protesta,
La conclusione di questo ordine,
La conclusione di questa lotta.

日本語で4行程、
 行儀よくまじめなんてできやしなかった
 夜の校舎窓ガラス壊してまわった。

 誰かの話にみんな熱くなり自分がどれだけ
 強いか知りたかった。

校舎の窓ガラスを割ってまわった、というのは
本当ではないでしょうね。
偏差値の高い学校に(私はこういう言い方を好みませんが)
せっかく入学しましたのにね、故尾崎豊さん、
こういう時代にこういう生き方をした、
少々ヘッセと共通したところがありますね。
彼の歌はまだまだ人気が高いそうです。

訳すのに1番困ったのは、イタリアには
「卒業」という言葉がないのです。
学士号を取る、免状を取る、という言い方をします。
で、la conclusione としました。
学生時代の締め括り。

今生きていれば47、8才ですね。
千の風となって、そっと若者に寄り添っているのでしょうか?

こんな訳しでいいですか、尾崎さん?


追記です。
 言葉抜けしました(ごめんね)
 校舎の影、芝生の上 吸い込まれる空 の後に
 「幻とリアルな気持ち感じていた」 これが
 抜けました。上から三行目に入ります。
 「mi sentivo vacillare tra l'illusione e la realtà」

で、この言葉は1、2行目の「校舎の影、吸い込まれる空」を受ける。
芝生の上や吸い込まれる空が幻とリアルな気持ちを招いた、
と解釈しますが、イタリア語で逐一訳していると益々詩音から
遠くなってしまうので、このままで。
お邪魔しました、豊さん。

ナルチスとゴルトムント  ヨハネス像 2

ヤンキースのイチローさん(鈴木一朗さん)が
地元スタジアムでディッキー投手からヒットを打ち
4000本目の安打となりました。
史上で最短時間の4000本だそうです。
まだまだ打ち続けますでしょう。
励みになります、イチローさん。
イチローさんはバットを振り、
ゴルトムントさんは彫刻刀を振るいます。

定住することにそろそろ飽きてきたムント君です。
町では彼は喧嘩屋という名を冠せられました。
そういえば修道院に入学した初めての日にも
仲間と花やかに喧嘩しましたね、ムント君。

年の行った女にも不細工な女にも、求められれば
快く応じるムント君、
どんな女にも一人一人に魅惑的な秘密があるんだ!
男には敬遠されました(惜しいな、ナルチスには愛されたのに)。

ナルチスを形造っている時だけが意義がありました。
顔と手の造形への最後のデリケートな彫琢は、忍耐強く
厳かになされました。
最後の仕上げのために職人さん達の仕事部屋の裏にある
木材保管所にナルチスを運びました。
箒で部屋を丁寧に掃除し、絵筆で彼のヨハネの髪から
最後の木屑を払い取りました。
そうして1時間以上程も彫刻の前に立ち尽くし、
滅多に味わえない荘厳な感情に浸るのでした。

再び、こういう創作を繰り返すことが出きるのか、どうか?
結婚式当日の花婿のように、騎士の叙任式の日のように、
女性の初産の時のように心が高鳴りました。
一途で神聖な、至高なこの体験は過ぎ去ってしまい
分類されて日常生活に飲み込まれてしまう、と恐れました。

ゴルトムントが導かれていた少年の頃のナルチスが顔を上げ
耳を澄ませて、彼の選んだ美しい使途ヨハネの、衣をまとい
献身と静けさと慈悲に満ちた微笑みが花開こうとするのを
ゴルトムントはじっと見つめ続けました。
美しく霊的な面ざし、平衡を保ちそそり立つ姿、
長い手は至福の信仰の中に上げられ(十字架上なので両腕を
広げた形です)若さと内面の響きにあふれていました。
苦痛と死を知っていたけれど失望と不調和、背反はなかった。
高貴な顔立ちの後ろの喜びと悲しみに動ぜず、不調和を認めず
ひたすら清浄でありました。

見たいけれど想像する他はないですね、ムント君。


紹介コーナー

新しく訪問して下さった方達のご紹介を致しますね。
「気ままに、日本一周」 バイクで旅なさる亜居江雄さん。
今、旅の途中ですか? カッコいいね。

「ひまりの気のまま毎日」
リンクいつも出来ないんだわ。

「音符ときままに遊ぼう」 minkoさん。
文鳥と亀さんを飼ってらっしゃる主婦の方です。
整った綺麗なブログですね。

「ゆるい生活」 ここねさん。
ご家族の楽しい生活を綴っていらっしゃいます。

ぽちぽちコメント欄にお邪魔に伺います。


Googleリンクで何とか繋がりました。
http://www.nekohon.jp/
        ↑
  猫とネコとふたつの本棚 です。

http://www.geocities.jp/rcpmq113/
        ↑
  アリッサムの庭 です。

辞書の紹介もついでに、
「翻訳なんてまじくだらねぇし」のむーしぇさん、は
トラドスの他に電子辞書もお使いだと思いますが
私は紙の辞書だけです。
伊和 伊伊 伊独 独和 独独 伊英 英和
伊和と独和を多用します。広辞苑も。
日本語にする場合、どの言葉が一番相応しいかなぁ、と
知恵を絞ります。(あまりないけれど絞るわけです)

イタリア語をなさっている方にお薦め致しますのは
ご存知かもですが、調べ物がある場合、
言語の設定をイタリア語にした後、 
イタリアウィキはなかなかいいですが
treccani enciclopedia on line
トゥレッカーニ・エンチクロペディア・オンライン
とてもいいですよ!
ウェブ百科事典です。 

イタリアの中学生の語彙数は7000語だそうです。
 Castellaro, Cerratoという2人の著者が書いた
 中学教師のための、Lingua e Grammatica
 イタリア語文法の本からの引用です。
 7000というのは動詞、形容詞の変化、語尾省略、
 前置詞と副詞の組み合わせなどを勘定に入れてないでしょう。
 それらを含めると7千の数十倍にはなります。

やがて大学生、社会人になると1万から2万語、
2万語あれば大人の会話が出きます。
専門家は20万語だそうです。
通訳、翻訳となるとそれに添って20万、知らなければ
ならないのですが、知るのと覚え込むのは違うわけです。

語学雑談でした。

紹介して、リンク致しました方達のブログを
御覧になって下さいね!素敵なブログです。

ナルチスとゴルトムント ヨハネス像

森からやって来た信用出来ないジプシーめ、
気が向けばいい職人なんだがな、
俺をいらつかせてばかりいる。
金にだらしがない浪費家め!

 1年経ったもの、男やもめのあんたのことを
 今ではすっかり分かるよ、マイスター、
 あんたをいらつかせるのは俺の楽しみなんだ。
 それにしてもあんたの一人娘、美人だな。

俺の娘を見る奴の目は何だ!
大切に人目に触れないように育てたんだ、
娘の相手は結婚前提の良家の子息じゃ、
お前などに用はないわ。

 マイスターの仕事はなあ、あれ程の芸術品を
 創り出す彼を讃えているんだが
 見てくれのいいものを金と名誉のために
 引き受ける他のマイスターと変わりない。

未熟だが、あの感動的なデッサンの故に
奴をを引き止めたんだ、今、制作中のヨハネ像のために
俺は我慢してるんだ。
文句は山ほどあるんだが、しかしあのヨハネを
奴はやり遂げるぞ、驚異的な粘り強さで、間違いなく
俺の弟子や名人達にも完成させるのが難しい仕事を。

十字架上の使徒群像の依頼がありマイスターは
仕上げの一刻みは自分がするということで
2人の弟子に彫らせていた。
ゴルトムントには成功したらそれも置こうということで
ヨハネ像の木彫を彫らせました。

使徒ヨハネをゴルトムントはナルチス像として
創り始めました。

An der Narzißfigur arbeitete Goldmund
mit tiefer Liebe, in dieser Arbeit fand er
sich selbst, seine Künstlerschaft und seine
Seele wieder.
 ゴルトムントは深い愛情でナルチスの姿を刻んでいった。
 この仕事に自分自身と本来の芸術家魂を見出していた。

毎日熱心に仕事するわけではなく、踊りや飲み会、
さいころ遊びに興じ何日も仕事部屋を空け、仕事に
戻っても気が向かない日もあったのですが

Ma al suo apostolo Giovanni, la cui figura
amata e pensosa gli usciva dal legno sempre più
pura, (伊)
 しかし愛する、思索する彼のヨハネはますます清らかに
 木から浮き出て来るのだった。

彼は献身と慎ましさに心が整えられた時だけ仕事に
打ち込むのでした。

In diesen Stunden war er weder froh noch traurig,
wußte weder von Lebenslust noch von Vergänglichkeit;
es kehrte ihm jenes ehrfurcitige, lichte und rein
gestimmte Gefühl im Herzen wieder, mit dem er einst
dem Freunde hingegeben und seiner Führung froh gewesen
war. Nicht er war es, der da stand und aus eigenem
Willen ein Bildnis schuf; vielmehr war es der andere,
es war Narziß, der sich seiner Kunstlerhände bediente,
 その時間の中では彼には嬉しさも悲しみもなく、生きることの
 喜びもはかなさもなかった。友にすっかり献身しその導きに
 喜び身を委ねていた頃の、純真な敬意と輝きが戻って来た。
 ゴルトムントが彼の意志で友の姿を刻むのではない。
 刻むのは別の人、ナルチスだった。ナルチスが芸術家の手を借り、

移ろう生の中から清らかな彼の姿を現わしたのでした。

知と愛が融合する、のでしたら、
理性と感性はこの場面で溶けあいましたでしょう。
 



ナルチスとゴルトムント

久し振りですね、ムントさん、
ご機嫌麗しく。

さて、ムント君は活気のある賑やかな町で彫刻家としての
生活を始めました。
マイスターの紹介で魚市場がある広場の、
金箔職人の家に住み始めました。
その家の娘さんはマリーといってまだ15歳。
病弱で大腿骨に欠陥があり歩行困難です。
マリーはおばさんがこの本の中で2人目の
印象に残る女の子です。

指を怪我したり上等な木の切り株を台無しにしたりしながらも
木や石膏の扱い方、色の着け方、ニス、金箔の施し方など
1年経つうちには仕事を難なく覚えました。
休日には踊りに行ったり歌ったりリュートを習ったり、
踊りもリュートも簡単にこなすムント君。
(リュートは中世、バロックの楽器です。ギターを弾くように、
形は琵琶に似ています)

彼は女性と遊ぶのは勿論、時に取っ組み合いの喧嘩も
始めるのでした。

愛らしい少年ぽさがなくなり逞しい男にとなりました。

ミケランジェロ、ロダン、キリコ、高村光太郎でも
彫刻する人は逞しく、力に溢れていたのでしょうね。

マイスターは彼を受け入れたことを早速後悔し始めます。
「気まぐれな奴だ、怠惰な奴だ、手に負えん奴だ!」
説教されても「尤もだ、俺は仕事によってむらがある、
マイスターが怒るのも無理はない」 と素直なムント君。
修道院にいた頃は熱心な生徒だったんだ。好きでない勉強を
1日中、毎日やり続けたんだ。偏にナルチスのために、
ナルチスの心を得たいばっかりに。
願いが叶ってナルチスはぼくの友人になった!

マイスターを愛しているが、ナルチスを愛したようには愛せない。

これはおばさん、突っこみ入れるとナルチスとマイスターは
別個の人間ですもの。別の人間として考えられないのかな?
と思っていましたが、ムント君はマイスターをそれだけ
愛して讃えているのでしょう。だから比べてしまうのかな?

「鈴と小鳥とそれに私、みんな違ってみんないい」
という心境に若くしてたどり着いた金子みすゞは、やはり
天才でしょう。

歌手の名前を知らないのですが、大分前に「ナンバー1よりも
オンリー1」という歌をヒットさせました。この歌に批判的な方も
いますが、すんなり受け取るとやはりいい歌だと思います。
人間は偉いものではない、尊いものだという仏法に通じます。

話が逸れながら、次回はムント君はナルチスの像を彫ります。
私が1番胸のときめく章です。

手許にあります「ナルチスとゴルトムント」は大分昔の、
Suhrkamp Verlag 版です。Verlag は出版社、
ズールカンプ出版です。
イタリア版が Editore Mondadori モンダドーリ出版です。
どちらも大きな出版社です。
ズールカンプは私のブログを了解済みなので、
心置きなくご愛読、ご乱読、斜め読み、流し読み、捨て読み
なさって下さい。


マイスター・ジンガー 2

間違えました。「名歌手」を完成したのは1858年ではなく
1867年で、初演が1868年です。
だってリッチ、1作に23年もかけるなんて、だから
間違えたのよ、おばさん。
尤もその間に3月革命に加担したかどで10年ほど
国外亡命しているけれど。(ウィーン体制に対しての、
いわゆる民主主義運動)
リッチはこの改革の扇動者、あるいは共謀者と言われて
召し取られる前にスイスに逃亡した。
仲間割れが原因で逃げ出したとも言われています、
まあ、加担はしたけれど扇動者ではなかったのでしょう。

マイスター・ジンガーの中でも、民衆を讃えていますが
彼は実際は王権擁護者でした。スイス亡命中に
ルードヴィヒ二世に助けられた、というのもありましょう。
わりあい、いい加減な人だったのでしょう。
スイス逃亡以前には借金取立人に追いかけられイギリス、
フランスと逃げ回っていました。

まあ、そんな彼ですが、私は彼のファンでないのですが
音楽には一目置いています。
音楽、歌詞、美術、演出と1人で何役もこなしました。
脱帽します。「俺のはオペラじゃなくて楽劇(Musikdrama)
だ」と主張していますが、後世の私達が聴いたら、これは
オペラですよ、リッチさん。

ハンザ同盟なんてありますね。中世の頃、都市間で働いた商人の
組合団体です。ルフトハンザ、ドイツ航空ですね。
ルフト die Luft 大気、空中、風です。
die Hanze ハンザ、 で空中同盟、そよ風ハンザ
ハンザと付けたのは昔の名残りなのでしょう。
その後にギルド die Gilde が生まれました。
イタリア語で la corporazione  商人、手工業者、様々な
職業の組合です。

ヘッセのゴルトムントは彫刻家の組合員であったマイスター・
二クラウスに弟子入りしました。

ワーグナーのこのオペラは調べて行くと結構深いのですが、
一言で言うとドタバタした喜劇です。
しかし3~4時間の喜劇は慣れない人には、好きではない人には
きついなぁ。

わりあい耳慣れた前奏曲で幕が開きます。
この前奏曲もライト・モティーフをからませて対位法なんぞで
まとめてあります。
どこからともなくやって来た騎士、ヴァルターはギルドの頭である
マイスターの所で居候していて、そこの娘と相思相愛です。
頭は「今年の歌競技の勝者には自分の娘を賜う」 ということで
これは洋の東西を問わず、よく聞くことですね。
現在なら女性の人権に拘わる! ところです。

シンガーソングライター達の、のど自慢大会の審査員には
ハンス・ザックス(1494~1576) 実在した靴職人 兼
マイスタージンガーです。この人が劇の要です。
恋敵のベックメッサー、この人も実在しました。ウィーンの音楽
評論家エドガルド・ハンスリック、ワーグナーと対立していました。
劇中では規則尽くめの歌を歌い、ひょうきんなセレナーデなども
歌います。歌は一定の形式のもとに歌わなくてはならないのです。
バール形式、中世の音楽形式でリッチはこれも使っています。

ヴァルターは予選を通過出きなかった。彼の歌は形式(伝統)から
かなり外れてしまっていた。しかし彼の歌の美しさを認めた
ザックスの知恵で彼は優勝し、マイスターとなり
娘のエーヴァとも結ばれ、めでたしめでたし、というわけです。
ザックスもエーヴァを愛していた、でも自分は身を引くよ、
若い者同士で仲良くおやり、ヴァルター  しかし、
エーヴァはザックスにも気がありましたね。この辺り、
女性は男性なら誰でもいいのかな、とふと考える私。

ヴァルターが歌う Morgenlich Leuchtet はきれいなアリアです。
第三幕の五重唱 これも美しい。
リッチにしては親しみ易い音楽が随所にあって明るい雰囲気です。
フィナーレの合唱で
Heil'ge deutsche Kunst
la sacra Arte tedesca
神聖なるドイツの芸術よ、と声高らかに歌うところから
ドイツ至上主義と言われ、ヒットラーがこのオペラを好んだ
所以なのでしょうが、
deutsch ドイツという言葉には古くは民衆という意味があり
ワーグナーは民衆という概念が好きなのでありました。

伝統と創造のせめぎ合い、古きは新しきに学び新しきは古きに学ぶ
という一世紀半経っても変わらぬ主題をリッチは追ったのでした。

最後にザックスがヴァルターに言います。
家柄や財力ではない、純粋なお前の芸術がお前に幸福を
もたらしたのだ、と。

マイスター・ジンガー

始まりましたね、ワーグナーのバイロイト・フェスティバル。
7月25日に「さまよえるオランダ人」で幕が開きました。
曲目は「ニーベルンゲンの指輪」4部作シリーズ、
「ラインの黄金」に始まり「ワルキューレ」「ジークフリート」
「神々の黄昏」まで。
それに「タンホイザー」 「ローエングリン」と繰り返されて
1か月続き、8月28日の楽(千秋楽)は「タンホイザー」で
〆です。イタリアでもそうですがドイツでも楽より初日が花々しく
幕開けの日にはメルケル首相が見えましたね。

バイロイトはバイエルン州(ドイツの南)の中の北の方に
あります。
バイロイト歌劇場が完成したのは1876年、ワーグナー自身が
自分のオペラ上演のために設計した木造建ての劇場で、変わって
いるのがオーケストラ・ボックス。歌手の声を遮らないようにと
舞台の下に半分以上のオケ奏者を潜りこませてしまっています。

犬が好きだった彼はワンちゃんを連れて楽屋入りしたとか。

リッチ(ワーグナー)のオペラはオーケストラが主役です。
リッチがドイツオペラの頂きなら、ペッピーノ(ヴェルディ)は
イタリアオペラの頂点でしてイタリアオペラの伝統に肖り(あや
かり)人声が主役です。歌手が違うとオペラが違ってしまう。
オーケストラはほぼ伴奏で、歌手の後を上手について行く。
いわば歌手はオーケストラによって育てられたのでした。

西洋の音楽が日本に輸入された時に、輸入品を買って使い始めた
のは、歌い奏し始めたのは何故か深窓の坊ちゃん嬢ちゃん達でした。
ところが輸出元では演奏するのは浅窓の嬢ちゃん坊ちゃんで、
貴族、富裕層のおばさん、おじさん、兄さん、姉さんは
専ら音楽を聴いて楽しむ側なのです。

エンリーコ・カルーソー、ベニアミーノ・ジーリなどは自分の
サインしか出来なかった、つまり読み書きもよう出来なかった。
しかし耳だけでよくあの複雑な音を歌えたね。
粗末な録音時代にも拘らず彼等の暖かさ、花やかさ、大きさと
歌の心は伝わって来る。イタリアの歌手の全盛期はレナータ・
スコット、ミレッラ・フレーニ、(カティア・リチャレッリ)で
パヴァロッティで終わりましたでしょう。残念ながらパヴァロッティ
に続くテノールは現れません。彼等は慎ましい家庭で育った、
音楽学校どころか小、中学校にも満足に行かなかった
(行けなかった)人達です。
時代が違うと言えばそれまでですが、今時の高等教育を受けた
人達には真似の出きる歌手ではないです。


ニュルンベルクの名歌手
 Die Meister Singer von Nürnberg
  I Maestri Cantori di Norimberga
    これは今年の出し物ではないのですが。

リッチは「タンホイザー」に付随した、能に対する狂言の様なオペラ
として1845年にはこれを既に着想していました。
完成したのは1858年です。「ローエングリン」や「トリスタンと
イゾルデ」の後です。

ニュルンベルクはやはりバイエルン州の、バイロイトから少し南、
トトまるさんのいらっしゃるミュンヘンから少し北に上がった所、
神聖ローマ帝国が建てた中世1000年の都市です。
ミンネゼンガー(トロヴァトーレ、トロヴァドール)吟遊詩人であった
騎士の時代が終わり、16世紀、歌手(シンガーソングライター)の
組合が生まれました。
マイスターというのはマエストロ、大家です。ジンガーは歌手、
マイスタージンガーは大歌手、名歌手というわけで、歌手組合から
与えられる称号です。

長くなりますので又今度ね。

プロフィール

ミルティリおばさん

Author:ミルティリおばさん
住まいはイタリア、ペルージャです。
翻訳 フリーランサーです。

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