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続 続 ガゼッタ

嫡出子と非嫡出子の遺産相続問題を
最高裁が取り上げ、どちらも平等に分けるという
判決になったのだそうです。
国会を通れば民法改正ということで、
憲法改正よりも容易いように見えます。
イタリアでは昨年2012年の12月に
この問題で Codice Civile 民法が改正となり
嫡出子、非嫡出子、共に平等に分けることになりました。

最高裁は時流に乗り、日本も負けずに変えなければ!
ということでしょうか。
ただイタリアの非嫡出子は10%です。
日本は2%強だそうですね。(櫻井よしこさんのコラムで
知りました)

家庭、夫婦、親子の人間関係が複雑化している、
子は親を選べない、というのは分かります。
そして私は(モテなくて)結婚出きなかった独身者です。
しかし! と思うわけです。
最高裁の判事の方達は皆、親を選べない(選べなかった)
境遇の方達ばかりなのでしょうか?
子は親を選べない、という言葉には虚と傲慢を感じます。

某誌に「骨肉が美談に化けた」と出ていましたが、
当たっている所は大いにありましょう。
遺産、遺産と、その言葉ばかり読んでいるうちに
人間の欲が私にこびり付きました(私も欲深ですよ)
いっそ親の遺産は黒柳徹子さんがお仕事なさってるユニセフか、
宮城まり子さんの「ねむの木学園」、あるいは
企業が思わしく進まない人達に、全部寄付してしまうという、
そういう法律に変わったらスッキリしますのにね。
それはそれで問題が多々出て来ますね。

子の平等を謳う前に、夫婦のあり方、家庭の大切さを
考えるのが常道だと思います。
先ず夫婦愛を説き、家庭を1番に据えて、子供に与えるもの
(遺産も)を一つ一つの場合に応じて考えて行く、これが
正しいとは主張しませんが正解に近いでしょう?

ベートーヴェンは3回ほど結婚し損ないました。
相手の女性達が貴族の令嬢であったり未亡人であったり
したからです。彼は結婚したかった、結婚、夫婦愛というものを
大切な理想としていました。
私はベートーヴェン程、熱烈に結婚したいと考えたことは
ないのですが、結婚は神聖なものだと思っています。

ベートーヴェンのただ一つのオペラ「フィデリオ」は
夫婦愛を高らかに謳ったオペラです。





続 ガゼッタ

新聞のことを書きましたのは、
15日から今日まで新聞週間でしょう。

イタリアでは新聞配達をしてくれないです。
edicola と言われる売店に買いに行くのです。
時々スーパーでも売っていますね。

現在、新聞離れ進行中のイタリアです。
3.2%ほど全体の売り上げが落ちたのだそうです。
それにしても1450万人近くが日刊紙を読んでいるのですね。
そのうち女性読者が1000万人近くです。
全人口は6700万人位です。

日本についても書いてありました。
2010年の「経済発展協力組織」によるものです。
2005年から2010年まで世界で1番日刊紙を読むのは
日出処の国(il Paese del sol levante)で
1000人当り526の日刊紙が出回っているのだそうです。
~だそうです。って日本のことなのに外国みたいな書き方ね。
知らなかったのです。
続いてノルウェー458紙、フィンランド400紙、スウェーデン、
スイスと続きます。

日本も新聞離れしていますのかしらね、
イタリアでは、新聞離れはインターネットばかりのせいではない、
新聞の信憑性(信頼性)を疑い始めたからだ、と言っていますがね。
イタリア人は随分前からメディアを信用していない、人もいます。
大多数の人がRAI (国営放送)をよくご覧になってニュースと言えば
RAI を信用していますがね。

Prima Pagina (新聞の一面)というラジオ番組がありまして、
毎朝7時15分から新聞記事(10数社のいくつかの記事)を
記者や論説委員が読み上げ、8時から45分間程一般市民の方々が
記者の方に電話で質問します。記者、論説委員は1人で1週間交替です。
RAI の放送ですがね、都合が悪くなると記者は黙ってしまう。

一頃前にアラビア人、アイルランドやドイツの記者だったことも
ありました。アイルランドの記者が驚いて「アイルランドは
本当のことを隠す時もある、しかしイタリアはアイルランド以上に
隠す。アメリカ合衆国は自由な国に思われているが大企業が
新聞社にいつも圧力をかけているんだ」と、
言っていましたように、メディアというのはね。
限界があるのでしょうね。

知識人はtv、新聞よりも本をより多く読んでいます。

武田鉄矢さんは本を本当に沢山読んでいますのね。
勉強になります。

もう少し書きたいことがありました。
昼食後に続けます。





ガゼッタ

1816年の9月にロッシーニ(1792~1868)が
La Gazzettaというオペラを発表しました。
訳しますと「新聞」なのですが、少し味気ないかしらね、
ガゼッタと言うことにします。

中世には町角でリュートを弾きながらニュースを伝える人達が
いたそうです。(ニュース・キャスターのはしりですか)
日本では瓦版がありましたね。
1614~15年に大阪の役を記事にしたのが最古だそうです。
読売さんと言われ、大きな声でニュースを伝えながら売って
歩いたのだそうです。


1563年にヴェネツィアで手書きによるニュースが
書かれました。政府、戦争の様子(この時には戦争はなく)
平和の様子が伝えられました。
1583年、フランクフルトで公の読み物が印刷されました。
新聞と言われるものが現れたのは
1605年 ストラスブルグで
1615年 フランクフルトで
1618年 アムステルダムで
1622年 ロンドンで
  31年 パリで
  36年 フィレンツェで
何れも日刊ではなく週刊です。
1640年にローマにGazzetta Pubblica(公共のガゼッタ)
というタイトルの新聞が出ました。
これらは古い所ですね。後、18、19世紀とどんどん改新し、
発展して行きます。

ガゼッタは今ではGazzetta Ufficiale(官報)にしか
その名を留めていません。官報というのは法律に関して発行する
新聞です。

ロッシーニのオペラは新聞、ガゼッタを扱ったものです。
カルロ・ゴルドーニの「結婚競技」から輪郭を取り出しました。
台本はジュゼッペ・パロンバとトットーラという人達です。

パリの食堂を兼ねた旅籠(まあ、ホテルでしょう)に
滞在中のナポリの貴族ドン・ポンポー二が娘のリゼッタの結婚相手を
探そうとガゼッタで花婿求人を掲載します。
ところがリゼッタは旅籠の主、フィリッポと相思相愛です。
旅籠には花婿を探している別の父娘も泊りにやって来ます。
アンセルモとドラリーチェです。そこにドラリーチェを想う
アルベルトも登場し、勘違いやら嫉妬やらの末に
最後の仮面舞踏会で2組の男女は結婚を許可されます。
めでたしめでたしの喜歌劇(オペラ・ブッファ)です。

ロッシーニは、個人の好みを申して申し訳ないのですが、
声楽曲よりも器楽曲が優れているのではないかしらね、
「ウィリアム・テル序曲」、
「イタリアのアルジェリア人」 「絹の梯子」
「どろぼうカササギ」などの序曲は何れも楽しいですね。

「ガゼッタ」には彼の曲である「セビリャの理髪師」、「試金石」
「イタリアのトルコ人」の音楽が使われています。

彼の音楽は心を動かされるというよりも、聴いていて楽しく、
うきうきして来ます。
ロッシーニ・クレッシェンドは気持ちが快活になります。





お誕生日おめでとう! マエストロ

今日は何の日かというとヴェルディのお誕生日です。
10月10日、夜9時です。
日本は11日ですね。
お誕生日おめでとう、
ナブッコの成功もおめでとう!

ヴェルディは新しい、ヒーローに、旗手になりました。
ドニゼッティをして「世の中は新しいものを欲している」
と言わせしめました。
ナブッコはリハーサル時からも騒然としていました。
初日には音楽が始まるとスタッフ達が、道具方さん、美術、
照明さん、沢山の職人さん達が口をポカンと開けて
舞台の袖から仕事を忘れて眺めていました。
(オペラが進行しないではないか)

ナブッコの成功により、次から次へと仕事の依頼が押し寄せて
来ました。一作書き終わらぬうちに次が入って来る。
1843年~49年この間を anni di galera
強制労働期間と自ら言っています。
ロッシーニは9日間で「セビリャの理髪師」を書き、
ドニゼッティは右手左手にペンを持ち、2作同時に作曲したのだ
そうですが、ヴェルディは出きないでしょう。
とにかく真面目な人ですし。
この頃の作品は「ロンバルディーアの第一十字軍」「エルナー二」
「ジャンヌ・ダルク」「マクベス」などです。
忙しかったせいもあるのでしょうね、
マクベスはねぇ・・・
終幕のマクベスのレチタティーヴォと続くアリアは確かに
struggente 気持ちが締め付けられますけどね。
オペラという音楽形式として御覧になってみて下さい。
見せることに関しては、舞台芸術という観点からは
やはりヴェルディはすごい!

オーストリア軍にも名が知られたヴェルディは、ある時
長官から彼の軍のために行進曲を依頼されました。
ヴェルディ答えて「将軍様、あなたの軍の撤退行進曲なら
書きますよ。」

1851年~53年に書いた「リゴレット」「イル・トロヴァトーレ」
「椿姫」この3部作でヴェルディの名が不動になりました。

ヴェネツィア・フェニーチェ歌劇場での「椿姫」の初演は不成功だった、
にも拘わらずオーストリア軍の上官達が彼を一杯のヴェルムート
(お酒)に招いた。
ヴェルディ「有難う、美味しいです。」 上官はちょっと上から
目線で「もっといいのをトリノで飲もう!」
(上官はヴェルムートに椿姫を掛けているのですね)
ヴェルディすかさず「トリノ? ヴィットーリオ・エマヌエーレ
(イタリアの王)は裕福なので彼の捕虜達にも、もっといいのを
飲ませますよ。」
おう、よく言った。ペッピーノ!
この手の諧謔はイタリア人の得意とするところです。
機知にあふれていますのね。

Vittorio Emanuele Re D'Italia
ヴィットーリオ・エマヌエーレ・レー・デイターリア
大文字、頭文字だけ抜き取れば VERDI になりますでしょう。
W VERDI(ヴィーヴァ・ヴェルディ) この文字がミラノと
ヴェネツィアの町中の壁に、いつも書かれて(落書きされて)
オーストリアの左官屋さん達を大いに働かせたそうです(消すのにね)

 ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡはトリノ王宮に住んでいた
 サルデーニャ出身の王家の子孫です。
 ベネト、ロンバルディーアはその当事ハプスブルグ家
 (オーストリア軍)支配下にありました。
 

パパ・フランチェスコと聖フランチェスコ

私はイタリアには長く、イタリアを好きですが
イタリア国籍を取得していないので参政権はありません。
参政権を得られないのは当然だと思います。
それで良いと思っているわけです。
国籍なしでもそれなりの便利さはありますから。
イタリアでの権利を主張するなら、先ずイタリアの
国籍を得るべきだと思うわけです。
この国は排外的ではありません。
政治に関与したいならこの国の国籍を
取得すべきでしょう。
国家が、政府がと、(イタリア政府については話すに
及ばないし、私は政治をブログで話したくないので)
叫ぶ前に先ず自分がこの国に溶け込んで、少しでも
この国の利益になることを考えるべきと思うわけです。
その利益は自分に戻って来るのですから。

しかし一言、国の価値は現在に於いて測られるべきです。
シリアに敏感な米屋さんはチベット、ウイグルに関しても
敏感であるといいですのにね。

さて、ベルルスコー二で喧しいイタリアも
今日は聖フランチェスコの日で、バチカンの
パパ・フランチェスコが早朝、ヘリコプターでアッシジに
やって来ます。一日中アッシジで過ごし、今夜の七時過ぎに
ヘリでバチカンへ帰ります。

「ナルチスとゴルトムント」サイトで知りました、
とても若い作家の方がブログで、
「知と愛、またはナルチスとゴルトムント」
というレビューを書いていらっしゃいます。
ヘッセがお好きのようで幾冊かの興味深いレビューを
読ませて頂きました。
是非御覧下さい。

「郷愁(ペーター・カーメンチント)」についても
書いてらっしゃいます。
「郷愁」はヘッセ29歳の出世作で、後のヘッセ作品が
凝縮して書かれています。ヘッセの小説はこの作品の
延長線上にあるのではないかしらね。
雲の描写は美しい、有名な描写でしょう。

主人公の駆け出しの作家、ペーターが友人リヒャルトの
提案とおごりでイタリアを旅する場面があります。
ペーターは少年時代から夢見て憧れていたイタリアへの旅が
現実となり不安と歓喜に心がこの上なく高鳴ります。

ヘッセはイタリアを愛していました。

ミラノに到着し、ジェノヴァでは青い海原に感嘆する。
軽快で陽気な無邪気なトスカーナが彼の前に現れ
フィレンツェ、フィエーゾレ、プラート、と見て回ります。
友人はそこに留まり、1週間ほど1人でウンブリアを旅します。

緑豊かなウンブリアの丘を歩き、
heiligen Franz(聖フランチェスコ)と共に道を辿った。

Mir ist immer, als seien diese acht Wandertage
in Umbrien die Krone und das schöne Abendrot
meiner Jugendzeit gewesen.
 ウンブリアを歩いた1週間は青春時代の私の冠で、
 美しい夕映えだった。

神の慈悲深い目を見つめるように、明るい春景色が
いつも心の中の泉のようにあふれて来るのでした。

Im Umbrien war ich Franz, dem "Spielmann Gottes",
verchrend nachgegangen,
 ウンブリアで「神の楽人」、フランチェスコを讃えながら
 足跡を追った。

ヘッセはサン・フランチェスコを讃えて愛していました。
「郷愁」のイタリアを旅する場面だけ切り取っても美しい!です。
(切り取っても、という言い方は神無悠樹さんの真似です)
是非お読みになってみて下さい。

フランチェスコ教皇様、もうすぐバチカンをお発ちになりますね。
アッシジでの良いご滞在を! 


プロフィール

ミルティリおばさん

Author:ミルティリおばさん
住まいはイタリア、ペルージャです。
翻訳 フリーランサーです。

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