2017.12.26
バッハのクリスマス・オラトリオは同バッハによる
カンタータからの収集です。
https://www.youtube.com/watch?v=DlwcZT1XVss
冒頭の合唱「歓喜せよ!」
https://www.youtube.com/watch?v=TXTbRn1H6JE
栄光を、神よ、汝に歌わん
https://www.youtube.com/watch?v=0GIzt9nRA9U
クリスマス・オラトリオ・シンフォニア
全6部64曲、演奏時間2時間半の中からの3曲です。
クリスマスから1月6日6のエピファニーア(公現の祝日)
までの期間のために作曲した音楽です。
ベートーヴェンは後年、熱心なカトリック教徒でしたが、
バッハは熱心なプロテスタントでした。その熱心さを持って、
毎朝起きては神のための作曲に勤しみました。
12~3人の子供を儲けたバッハには
「恋愛感情を持たなければ歌は歌えない」
なんてのは低次元の事柄でしたでしょうね。
「神のために」をこれほど高邁で清冽な、微妙な表現で
音楽にした作曲家は他にいませんでしょう。
それから、珍しいところで
https://www.youtube.com/watch?v=RlxswNssITM
リムスキー・コロサコフの組曲「クリスマスの夜」
区切ったりしてどうぞ、素敵な曲です。
カンタータからの収集です。
https://www.youtube.com/watch?v=DlwcZT1XVss
冒頭の合唱「歓喜せよ!」
https://www.youtube.com/watch?v=TXTbRn1H6JE
栄光を、神よ、汝に歌わん
https://www.youtube.com/watch?v=0GIzt9nRA9U
クリスマス・オラトリオ・シンフォニア
全6部64曲、演奏時間2時間半の中からの3曲です。
クリスマスから1月6日6のエピファニーア(公現の祝日)
までの期間のために作曲した音楽です。
ベートーヴェンは後年、熱心なカトリック教徒でしたが、
バッハは熱心なプロテスタントでした。その熱心さを持って、
毎朝起きては神のための作曲に勤しみました。
12~3人の子供を儲けたバッハには
「恋愛感情を持たなければ歌は歌えない」
なんてのは低次元の事柄でしたでしょうね。
「神のために」をこれほど高邁で清冽な、微妙な表現で
音楽にした作曲家は他にいませんでしょう。
それから、珍しいところで
https://www.youtube.com/watch?v=RlxswNssITM
リムスキー・コロサコフの組曲「クリスマスの夜」
区切ったりしてどうぞ、素敵な曲です。
2017.12.16
ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調は
パトス(熱情、激情、感情、理性の対比)と威厳、
神秘、壮美がドッキングした作品です。
シントラーの「斯くの如く運命が扉を叩く」という
ベートーヴェン交響曲第5番第1楽章
冒頭の5小節ばかりが一般的には有名なのですが、
「運命」 冒頭の聴き比べ
運命 聴き比べ
アントン・シントラ―(1795~1864)は彼自身が音楽家であり、
ベートーヴェンの身の回りの世話をしたり、
「ベートーヴェンの生涯」という伝記を記しましたが、
内容の多くを捏造 改竄したという、トンデモない
伝記制作者であったわけです。
「斯くの如く運命は扉を叩く」というのは
シントラ―が記した信憑性のあるベートーヴェンの言葉です。
ベートーヴェンの弟子のツェルニーによりますと、
この一節はウィーンの森を散歩していた時に聴いた
(微かに聴いたのでしょうね)ホオジロの囀りで
ホオジロの歌の中に彼は「神と悪魔の声」を聴いた
のだそうです。
1803年に「運命」のスケッチを始めて
1808年に初演でした。
細かいことを言いますと、「運命」と共に
第6(田園)、レオノーレ、ワルトシュタイン、ピアノ協奏曲第4番が
スケッチされています。
第1楽章の主題は運命からのノックで、
随所で運命が扉を叩いています。
「ヒェッ!」と思いながらもベートーヴェンは運命を写実しています。
難聴の悪化、身分違いの恋愛の破綻
(結婚に一方ならぬ憧れを抱いていましたのに)
封建制度というどうにもならない(化け物のような)壁、
彼は共和主義者でありナポレオンに肩入れもしていましたが、
帝位就任後に侵略戦争を広げオーストリアはナポレオン軍に
占領されていました。
歯ぎしりしたベートーヴェンは、
「残念至極!私が作曲技術を知っている位、
戦闘技術に精通していれば、奴を(ナポレオンを)負かしてやるのに!」
といった身に降りかかって来た運命ですね。
彼は強かった!
「運命に負かされるなどあり得ない、
運命の喉元を締め上げてやる!」
第2楽章では運命と対峙する人間の受け取り方を、
第3楽章では戦いを、間断なく突入する第4楽章では
勝利の凱旋を謳っています。
この曲がパリで演奏された時に、
ナポレオン軍の兵士たちが一斉に立ち上がり、
「この曲は皇帝陛下だ!皇帝万歳!」
と叫んだのだそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=1lHOYvIhLxo
レオナルド・バーンスタインとウィーンフィルハーモニーです。
パトス(熱情、激情、感情、理性の対比)と威厳、
神秘、壮美がドッキングした作品です。
シントラーの「斯くの如く運命が扉を叩く」という
ベートーヴェン交響曲第5番第1楽章
冒頭の5小節ばかりが一般的には有名なのですが、
「運命」 冒頭の聴き比べ
運命 聴き比べ
アントン・シントラ―(1795~1864)は彼自身が音楽家であり、
ベートーヴェンの身の回りの世話をしたり、
「ベートーヴェンの生涯」という伝記を記しましたが、
内容の多くを捏造 改竄したという、トンデモない
伝記制作者であったわけです。
「斯くの如く運命は扉を叩く」というのは
シントラ―が記した信憑性のあるベートーヴェンの言葉です。
ベートーヴェンの弟子のツェルニーによりますと、
この一節はウィーンの森を散歩していた時に聴いた
(微かに聴いたのでしょうね)ホオジロの囀りで
ホオジロの歌の中に彼は「神と悪魔の声」を聴いた
のだそうです。
1803年に「運命」のスケッチを始めて
1808年に初演でした。
細かいことを言いますと、「運命」と共に
第6(田園)、レオノーレ、ワルトシュタイン、ピアノ協奏曲第4番が
スケッチされています。
第1楽章の主題は運命からのノックで、
随所で運命が扉を叩いています。
「ヒェッ!」と思いながらもベートーヴェンは運命を写実しています。
難聴の悪化、身分違いの恋愛の破綻
(結婚に一方ならぬ憧れを抱いていましたのに)
封建制度というどうにもならない(化け物のような)壁、
彼は共和主義者でありナポレオンに肩入れもしていましたが、
帝位就任後に侵略戦争を広げオーストリアはナポレオン軍に
占領されていました。
歯ぎしりしたベートーヴェンは、
「残念至極!私が作曲技術を知っている位、
戦闘技術に精通していれば、奴を(ナポレオンを)負かしてやるのに!」
といった身に降りかかって来た運命ですね。
彼は強かった!
「運命に負かされるなどあり得ない、
運命の喉元を締め上げてやる!」
第2楽章では運命と対峙する人間の受け取り方を、
第3楽章では戦いを、間断なく突入する第4楽章では
勝利の凱旋を謳っています。
この曲がパリで演奏された時に、
ナポレオン軍の兵士たちが一斉に立ち上がり、
「この曲は皇帝陛下だ!皇帝万歳!」
と叫んだのだそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=1lHOYvIhLxo
レオナルド・バーンスタインとウィーンフィルハーモニーです。