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やは肌の

バーソさんがマスネのオペラ「タイース」の
「黙想」meditazioneを紹介しながら
タイース・エントリーをお書きになったので、
私はオペラの粗筋と共に動画をリンクしようと
思っただけなのですが、

ふと、晩年にカトリックの洗礼を受けた与謝野晶子のことが
頭をよぎりました。
やは肌の、は、あつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君、
と続きます。
この歌を初めて知った時に、相手は誰か分かりませんが、
キリスト教信徒への歌だと感じました。

与謝野鉄幹、河野鉄南(和尚さん) 2人ともお寺の息子さんでした、が、
鉄幹なぞは仏教の禁欲主義とはほど遠い
(もっとも仏教はキリスト教ほど禁欲的ではないでしょう)
教師をしていた折に何度も教え子と恋に落ちて
(恋に落ちるというより、やりたくなって、の方が当たっている気がするけど)
教え子だった妻を追い出して晶子と結婚するという
不倫、不道徳、醜聞で、晶子は押しかけ女房なわけですが、
私には晶子の真似はできません。
それにはそれで事情が色々とあったのでしょう。
鉄幹は結構いい男でモテたのでしょうね。
晶子の眼鏡に適うぐらいだから。

「やは肌」がどうしてクリスチャンへの歌と思ったかと申しますと
「道を説く君」、この言葉から連想する君というのは
牧師さんか神父さん、あるいは熱心なキリスト教徒です。

大胆で華麗な晶子の女性の恋の歌の中には
聖書、羊などという言葉が出て来ます。

「みだれ髪」から、
淵の水になげし聖書を又もひろひ
  空仰ぎ泣くわれまどひの子

 考えさせられる歌ですが、
 「やわ肌」の方が日本人受けするのかもしれません。

聖書だく子人の御親の墓に伏して
  弥勒の名をば夕に喚びぬ

 これは仏教とキリスト教の狭間に立った苦悩で
 私には深い歌に思われますが。

水に飢ゑて森をさまよふ小羊の
  そのまなざしに似たらずや君

何となきただ一ひらの雲に見ぬ
  みちびきさとし聖歌のにほひ

といった聖書、賛美歌に関する歌から、
晶子には公には知られないクリスチャンの恋人
(恐らく片想い)の想い人)がいたのではないでしょうか。

鉄幹の晶子への嫉妬も許容して支援し、
12人とも13人とも言われる子供を育て、
亡くなる間際に子供に「私は幸せだった、
何故ならこの世であなた達に会えたのだから」

という言葉を残した彼女は
天晴なお母さんでもありました。





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ミルティリおばさん

Author:ミルティリおばさん
住まいはイタリア、ペルージャです。
翻訳 フリーランサーです。

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