2018.09.29
何度かブログ更新のご要望をいただきまして
申し訳ありませんでした。
仕事に明け暮れておりまして、
時間を割けずにおりました。
10月4日の「聖フランチェスコの日」をお待ちください。
その前に壷井栄の「二十四の瞳」を
エントリーにしたかったのですが、
こちらはその後といたします。
この作品は青空文庫でもお読みになれます。
暫し(しばし)ご容赦を。
暫し音楽をお楽しみください。
ベートーヴェンのロマンスヘ長調です。
https://www.youtube.com/watch?v=ecOKWQRI_0A
申し訳ありませんでした。
仕事に明け暮れておりまして、
時間を割けずにおりました。
10月4日の「聖フランチェスコの日」をお待ちください。
その前に壷井栄の「二十四の瞳」を
エントリーにしたかったのですが、
こちらはその後といたします。
この作品は青空文庫でもお読みになれます。
暫し(しばし)ご容赦を。
暫し音楽をお楽しみください。
ベートーヴェンのロマンスヘ長調です。
https://www.youtube.com/watch?v=ecOKWQRI_0A
2018.09.02
尾崎喜八という音楽好きの詩人が、
「高村光太郎と智恵子の間に音楽があったら、
智恵子は苦しむことはなかっただろう」
エッセイの中で言っています。
智恵子は音楽が大層好きだったのかどうかは
知りませんが、ベートーヴェンの第6番「パストラーレ」に
聴き入っていたと、光太郎は書いています。
画家の智恵子は精神分裂症(今で言う統合失調症)に
罹患し、結核(の一種)で亡くなりました。
それは繊細さばかりでなく、先祖様からいただいたDNAにも
依るのではないでしょうか。
カテゴリー庭球(テニス) としたのは、
智恵子さんは学生の頃に、平塚らいちょうと同学年で
一緒にテニスをしたのだそうです。
「青鞜」、与謝野晶子も寄稿していた、
平塚らいちょうが創始、結成者の1人として活躍しました、
文芸女性誌ですが、その創刊号の表紙を描いたのは
智恵子です。
青鞜
ギリシャ風というのかアジア風というのか、素敵ですね。
落ち込んでいた光太郎の前に聖マリアの如く現れた智恵子、
2人は同棲から結婚へ、
主婦と芸術家の狭間で苦悩し、
とうとう統合失調症に罹って入院することになりました。
青空文庫からコピペしました、
高村光太郎「智恵子抄」から2編の詩を
あなたはだんだんきれいになる
をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽せいれつな生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。
昭和二・一
梅酒
死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒(うめしゆ)は
十年の重みにどんより澱(よど)んで光を葆(つつ)み、
いま琥珀(こはく)の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳(かを)りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒濤(きようらんどとう)の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。
昭和一五・三
人間、力関係で出来ているといいますが、
与謝野晶子は、デンツク亭主だったから、
そのお蔭で張り切ることが出来たのではないですか。
智恵子と光太郎には力関係を感じません。
光太郎の中で智恵子が浄化されたとも思えません。
ただ、「智恵子抄」なくしては、
智恵子への想いなしでは、お2人の名前は
私にはそれほど印象深いものではないです。
「高村光太郎と智恵子の間に音楽があったら、
智恵子は苦しむことはなかっただろう」
エッセイの中で言っています。
智恵子は音楽が大層好きだったのかどうかは
知りませんが、ベートーヴェンの第6番「パストラーレ」に
聴き入っていたと、光太郎は書いています。
画家の智恵子は精神分裂症(今で言う統合失調症)に
罹患し、結核(の一種)で亡くなりました。
それは繊細さばかりでなく、先祖様からいただいたDNAにも
依るのではないでしょうか。
カテゴリー庭球(テニス) としたのは、
智恵子さんは学生の頃に、平塚らいちょうと同学年で
一緒にテニスをしたのだそうです。
「青鞜」、与謝野晶子も寄稿していた、
平塚らいちょうが創始、結成者の1人として活躍しました、
文芸女性誌ですが、その創刊号の表紙を描いたのは
智恵子です。
青鞜
ギリシャ風というのかアジア風というのか、素敵ですね。
落ち込んでいた光太郎の前に聖マリアの如く現れた智恵子、
2人は同棲から結婚へ、
主婦と芸術家の狭間で苦悩し、
とうとう統合失調症に罹って入院することになりました。
青空文庫からコピペしました、
高村光太郎「智恵子抄」から2編の詩を
あなたはだんだんきれいになる
をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽せいれつな生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。
昭和二・一
梅酒
死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒(うめしゆ)は
十年の重みにどんより澱(よど)んで光を葆(つつ)み、
いま琥珀(こはく)の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳(かを)りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒濤(きようらんどとう)の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。
昭和一五・三
人間、力関係で出来ているといいますが、
与謝野晶子は、デンツク亭主だったから、
そのお蔭で張り切ることが出来たのではないですか。
智恵子と光太郎には力関係を感じません。
光太郎の中で智恵子が浄化されたとも思えません。
ただ、「智恵子抄」なくしては、
智恵子への想いなしでは、お2人の名前は
私にはそれほど印象深いものではないです。