2018.10.07
今朝、バルセロナのシンボル、
モンセラ・カヴァリエが病院で亡くなりました。
享年85歳でした。柔軟性のある、
温かみのある声のソプラノ歌手でした。
日本にも来ましたね。
古き良き時代のステッラ(星)がまた、1つ消えました。
「黄金のトランペット」というのは、
ベッラさんのマエストロ、マリオ・デル・モナコの
ニックネームです。
今朝、読ませていただいたバーソさんのブログで
ラッパについて書いてらしたので、
咄嗟に私はデル・モナコを思い浮かべました。
ラッパ(アイーダ・トランペット)と共に凱旋入場する
ラダメスです。
声もトランペットですが、ラダメスも素晴らしかった。
Mario Del Monaco in Aida Tokyo 1961 "Celeste Aida"
アリア; 天上のアイーダ 日本公演から
日本のオケとの共演でしょう、よく我慢して歌ったね。
動画で聴いても声の輝かしさが伝わります。
Mario del Monaco, Monserrat Caballe, Renata Tebaldi and Aldo Protti.
アンドレア・シェニエ
モンセラ・カヴァリエ レナータ・テバルディ マリオ・デル・モナコの共演で
また、書き足していくと思います。
モンセラ・カヴァリエが病院で亡くなりました。
享年85歳でした。柔軟性のある、
温かみのある声のソプラノ歌手でした。
日本にも来ましたね。
古き良き時代のステッラ(星)がまた、1つ消えました。
「黄金のトランペット」というのは、
ベッラさんのマエストロ、マリオ・デル・モナコの
ニックネームです。
今朝、読ませていただいたバーソさんのブログで
ラッパについて書いてらしたので、
咄嗟に私はデル・モナコを思い浮かべました。
ラッパ(アイーダ・トランペット)と共に凱旋入場する
ラダメスです。
声もトランペットですが、ラダメスも素晴らしかった。
Mario Del Monaco in Aida Tokyo 1961 "Celeste Aida"
アリア; 天上のアイーダ 日本公演から
日本のオケとの共演でしょう、よく我慢して歌ったね。
動画で聴いても声の輝かしさが伝わります。
Mario del Monaco, Monserrat Caballe, Renata Tebaldi and Aldo Protti.
アンドレア・シェニエ
モンセラ・カヴァリエ レナータ・テバルディ マリオ・デル・モナコの共演で
また、書き足していくと思います。
2018.10.04
ヘルマン・ヘッセの「フランチェスコ」から
San Francesco la Natura e Hesse .wmv
フランチェスコはキリストの眼差しを悟り、
万象の深淵を一途に探った。
風の中で様々に変化する木々の葉擦れの音、
泡立てて流れる小川のせせらぎ、
森の中を流れる静かな川の音を聞き
それは神の言葉だと感じ取った。
私はその言葉に同感するために、
いつもこの上ない熱心さと戦慄とで、
起き伏しの違いと変化を聞き取った。
人々が彼の本源に近づき、安らぎ、
そして幼子のような純粋さで
他の人にも感動を贈ることが出来るような
詩を、いつの日か詠いたい。
全ての事がらを愛し、
無関心と不届きな目では決して見ない習わしを
詠った詩を。
その時には生きていることの
最上の喜びが私のものとなる。
ヘルマン・ヘッセ
よろしかったら動画をご覧ください。
サンフランチェスコの続きを書きたいのですが、
明日になるかもしれません。
ベッラさん、
コメントをどうも有り難うございます。
ご返事、明日になってしまいます。
10月5日
サン・フランチェスコは本名が、ちと長い。
(ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ)
1181、2年、アッシジの裕福な商人の家に生まれました。
幼少の頃より騎士に憧れて目指していました。
きっかけは定かではないのですが、
弱者、病人、殊にハンセン氏病(ライ病)患者に
同情を寄せ、その同情心は日増しに高まり、
隣人への「愛の火熱」となりました。
ハンセン氏病というのは当時、蔓延していた悪疫で、
松本清張の「砂の器」もこの病気がもととなって生じた
事件ですね。
もとい、キリストの教えに尋常でない感銘を受けたフランチェスコは
弱者の味方となり、自らPoverello(貧しき者)となって
仲間を集め、ローマのパパ(法王)の認可を得、
Francescana(フランシスコ派)を発足します。
始めは、乞食集団の輩がやって来た、と
歯牙にもかけなかったバチカンの金持ち法王と司教らは、
しかし、フランチェスコの真のキリスト教観に打たれ、
フランチェスコ宗団を承諾します。
この辺りが、数あるフランチェスコのドラマ、フィルムの
圧巻場面なわけです。
亡くなったのは1226年、聖アントニオや聖ドメニコと
中世の同期です。
この頃、不思議なことに、符節を合わせたかのように、
日本でも仏教が全盛期の時代でした。
源平合戦の末に鎌倉時代に突入、
12、13世紀には法然上人、親鸞聖人、一遍、栄西、
日蓮聖人、道元禅師などが生まれ、それぞれの
宗派を創って代表となる書を著わしています。
親鸞聖人の場合は、本人口頭、弟子が書いたのですが。
ついでに、ジンギス・ハーンがモンゴルを建国したのも
この頃です。
1200年前後、彼らは東西、随分と離れた所で、
同じような仕事をしていたのですね。
Dolce Sentire (Fratello Sole, Sorella Luna) - Omaggio a San Francesco D'Assisi
太陽は兄弟 月は姉妹