2020.07.19
ヘルマン・ヘッセ、行ってみます。
その前に、たった2曲、
動画で「100万本のバラ」と、「バラ色の人生」しか
聴いたことがありませんが、最近ファンになりました。
別府葉子、
恐れ入るほどの歌心です。
上手い、と思える人は数え切れない程います。
しかし、恐れ入る程、上手い、と思ったのは、
別府葉子と美空ひばり、です。
「愛の讃歌」 別府葉子
「愛の讃歌」
この歌は越路吹雪が定番です。
越路吹雪も好きな歌手ですが、
別府葉子、とても素敵。
聴いているうちに解ったのは、
別府葉子は、愛を歌いながら、愛を昇華している、
理想的な歌手だということです。
ヘッセの詩から
Tutti i fiori 全ての花は
Tutti i fiori
devono appassire
quando viene la nebbia,
e gli uomini
debbono morire
e, morti, si calano nella fossa.
Anche gli uomini sono fiori,
e quando è primavera
ritornano tutti.
Poi non s’ammalano più.
E tutto è perdonato.
Und die Menschen
Mussen sterben,
Man legt sie ins Grab.
Auch die Menschen sind Blumen,
Sie kommen alle wieder
Wenn ihr Fruhling ist.
Dann sind sie nimmer krank,
Und alles wird verzehen.
霧が出て漂う時に
全ての花は萎む
人は死に
墓穴に落ちて行かねばならない。
人は花だ。
春が来た時に、
全ての花も人も蘇る
病むことはなく
そして全ては許される。
クヌルプ(漂泊の魂)から
短編小説「クヌルプ」の中に散りばめられている
詩の一遍です。
クヌルプは「漂泊の魂」とタイトル付けされていると思います。
定職を持たない、放浪芸術家の主人公クヌルプは、
友情、恋愛に於いての隔絶感を深く感じ、
強いては永遠に続かぬ無常観に至り、
生まれ変わりを願う(この辺は仏教的なのですけれど)
こういったことが彼をして放浪者とした所以の一部でもあるわけです。
やがて結核に侵されたクヌルプは、自分の人生を悔い、
雪の中で、しかし、最後に神と対話し、
そうして絶体神に包まれて、
明るいトーンの中で息を引き取る。
ヘッセ38歳の時の小説です。
クヌルプを「聖人の卵」、「聖フランチェスコの兄弟」と
称する人もいます。
こちらの詩は時代が明確ではありませんが、
"国を追われ" なので第二次世界大戦中の詩かと思います。
Sono una stella 私は星だ
Sono una stella del firmamento
che osserva il mondo, disprezza il mondo
e si consuma nel proprio ardore.
Io sono il mare di notte in tempesta
il mare urlante che accumula nuovi
peccati e agli antichi rende mercede.
Sono dal vostro mondo esiliato
di superbia educato, dalla superbia frodato,
io sono il re senza corona.
Son la passione senza parole
senza pietre del focolare, senz’arma nella guerra,
è la mia stessa forza che mi ammala.
Ich bin ein Stern 原詩:私は星だ
Ich bin ein Stern am Firmament,
der die Welt betrachtet, die Welt verachtet
und in der eignen Glut verbrennt.
Ich bin das Meer, das nächtens stürmt,
das klagende Meer, das opferschwer
zu alten Sünden neu türmt.
Ich bin von Eurer Welt verbannt,
vom Stolz erzogen, vom Stolz belogen,
ich bin der König ohne Land.
Ich bin die stumme Leidenschaft,
im Haus ohne Herd, im Krieg ohne Schwert
und krank an meiner eignen Kraft.”
日本語版: 高橋健二訳
私は星だ
私は大きな空の星だ。
世界を見つめ、世界を侮り、
自分の熱火に焼けうせる。
私は、夜ごとに荒れる海だ。
古い罪に新しい罪を積み重ねて、
きびしいいけにえにえをささげる嘆きの海だ。
私はあなた方の世界から追われ、
誇りに育てられ、誇りにあざむかれた。
私は、国のない王様だ。
私は無言の情熱だ。
家ではかまどがなく、戦争では剣を持たない。
自分の力のために病んでいる。
Frammenti 小片(フラグメント)
Ma la cosa migliore non furono quei baci
e neppure le passeggiate serali, o i nostri segreti.
La cosa migliore era la forza che quell'Amore mi dava,
la forza lieta di vivere e di lottare per lei,
di camminare sull'acqua e sul fuoco.
Potersi buttare, per un istante,
poter sacrificare degli anni
per il sorriso di una donna:
questa sì che è felicità, e io non l'ho perduta.
くちづけ、夕べの散歩、2人の秘密、
これ以上のものはない。
全てに優るものは、
恋人がくれる生きる喜び、
彼女のための闘い。
水と火の上を歩くこと
彼女の微笑みのために年月を犠牲にし、
一瞬のために身を投じること、
これが今だに失うことがない幸福である。
Hermann Hesse
以上が、Casa Editrice Barkovから選ばれた詩です。
以下は私の選んだ詩です。
Sull'Amore
Si chiama Amore ogni superiorità,
ogni capacità di comprensione,
ogni capacità di sorridere nel dolore.
Amore per noi stessi e per il nostro destino,
affettuosa adesione
a ciò che l'Imperscrutabile
vuole fare di noi
anche quando
non siamo ancora in grado di vederlo
e di comprenderlo.
Quando mi dai la tua piccola mano
Che tante cose mai dette esprime
Ti ho forse chiesto una sola volta
Se mi vuoi bene?
Non è il tuo amore che voglio
Voglio soltanto saperti vicina
E che muta e silenziosa
Di tanto in tanto, mi tenda la tua mano.
愛、それは、
万物に於ける卓越、
惻隠の情、
苦悩の中の微笑み、
その名は愛、
愛は私達自身であり、
私達の天命である。
愛が見えない時、理解できない時にも、
探ることができない、慈愛に満ちた行為を
私達に行わせる。
お前が何も言わずに
小さな手を差し伸べる時、
きっと1度だけ、問うただろう。
私が好きか、と。
お前の愛が欲しいのではない。
お前を傍らに感じ、
時々、黙ってそっと手を差し伸べて欲しいのだ。
Hermann Hesse
その前に、たった2曲、
動画で「100万本のバラ」と、「バラ色の人生」しか
聴いたことがありませんが、最近ファンになりました。
別府葉子、
恐れ入るほどの歌心です。
上手い、と思える人は数え切れない程います。
しかし、恐れ入る程、上手い、と思ったのは、
別府葉子と美空ひばり、です。
「愛の讃歌」 別府葉子
「愛の讃歌」
この歌は越路吹雪が定番です。
越路吹雪も好きな歌手ですが、
別府葉子、とても素敵。
聴いているうちに解ったのは、
別府葉子は、愛を歌いながら、愛を昇華している、
理想的な歌手だということです。
ヘッセの詩から
Tutti i fiori 全ての花は
Tutti i fiori
devono appassire
quando viene la nebbia,
e gli uomini
debbono morire
e, morti, si calano nella fossa.
Anche gli uomini sono fiori,
e quando è primavera
ritornano tutti.
Poi non s’ammalano più.
E tutto è perdonato.
Und die Menschen
Mussen sterben,
Man legt sie ins Grab.
Auch die Menschen sind Blumen,
Sie kommen alle wieder
Wenn ihr Fruhling ist.
Dann sind sie nimmer krank,
Und alles wird verzehen.
霧が出て漂う時に
全ての花は萎む
人は死に
墓穴に落ちて行かねばならない。
人は花だ。
春が来た時に、
全ての花も人も蘇る
病むことはなく
そして全ては許される。
クヌルプ(漂泊の魂)から
短編小説「クヌルプ」の中に散りばめられている
詩の一遍です。
クヌルプは「漂泊の魂」とタイトル付けされていると思います。
定職を持たない、放浪芸術家の主人公クヌルプは、
友情、恋愛に於いての隔絶感を深く感じ、
強いては永遠に続かぬ無常観に至り、
生まれ変わりを願う(この辺は仏教的なのですけれど)
こういったことが彼をして放浪者とした所以の一部でもあるわけです。
やがて結核に侵されたクヌルプは、自分の人生を悔い、
雪の中で、しかし、最後に神と対話し、
そうして絶体神に包まれて、
明るいトーンの中で息を引き取る。
ヘッセ38歳の時の小説です。
クヌルプを「聖人の卵」、「聖フランチェスコの兄弟」と
称する人もいます。
こちらの詩は時代が明確ではありませんが、
"国を追われ" なので第二次世界大戦中の詩かと思います。
Sono una stella 私は星だ
Sono una stella del firmamento
che osserva il mondo, disprezza il mondo
e si consuma nel proprio ardore.
Io sono il mare di notte in tempesta
il mare urlante che accumula nuovi
peccati e agli antichi rende mercede.
Sono dal vostro mondo esiliato
di superbia educato, dalla superbia frodato,
io sono il re senza corona.
Son la passione senza parole
senza pietre del focolare, senz’arma nella guerra,
è la mia stessa forza che mi ammala.
Ich bin ein Stern 原詩:私は星だ
Ich bin ein Stern am Firmament,
der die Welt betrachtet, die Welt verachtet
und in der eignen Glut verbrennt.
Ich bin das Meer, das nächtens stürmt,
das klagende Meer, das opferschwer
zu alten Sünden neu türmt.
Ich bin von Eurer Welt verbannt,
vom Stolz erzogen, vom Stolz belogen,
ich bin der König ohne Land.
Ich bin die stumme Leidenschaft,
im Haus ohne Herd, im Krieg ohne Schwert
und krank an meiner eignen Kraft.”
日本語版: 高橋健二訳
私は星だ
私は大きな空の星だ。
世界を見つめ、世界を侮り、
自分の熱火に焼けうせる。
私は、夜ごとに荒れる海だ。
古い罪に新しい罪を積み重ねて、
きびしいいけにえにえをささげる嘆きの海だ。
私はあなた方の世界から追われ、
誇りに育てられ、誇りにあざむかれた。
私は、国のない王様だ。
私は無言の情熱だ。
家ではかまどがなく、戦争では剣を持たない。
自分の力のために病んでいる。
Frammenti 小片(フラグメント)
Ma la cosa migliore non furono quei baci
e neppure le passeggiate serali, o i nostri segreti.
La cosa migliore era la forza che quell'Amore mi dava,
la forza lieta di vivere e di lottare per lei,
di camminare sull'acqua e sul fuoco.
Potersi buttare, per un istante,
poter sacrificare degli anni
per il sorriso di una donna:
questa sì che è felicità, e io non l'ho perduta.
くちづけ、夕べの散歩、2人の秘密、
これ以上のものはない。
全てに優るものは、
恋人がくれる生きる喜び、
彼女のための闘い。
水と火の上を歩くこと
彼女の微笑みのために年月を犠牲にし、
一瞬のために身を投じること、
これが今だに失うことがない幸福である。
Hermann Hesse
以上が、Casa Editrice Barkovから選ばれた詩です。
以下は私の選んだ詩です。
Sull'Amore
Si chiama Amore ogni superiorità,
ogni capacità di comprensione,
ogni capacità di sorridere nel dolore.
Amore per noi stessi e per il nostro destino,
affettuosa adesione
a ciò che l'Imperscrutabile
vuole fare di noi
anche quando
non siamo ancora in grado di vederlo
e di comprenderlo.
Quando mi dai la tua piccola mano
Che tante cose mai dette esprime
Ti ho forse chiesto una sola volta
Se mi vuoi bene?
Non è il tuo amore che voglio
Voglio soltanto saperti vicina
E che muta e silenziosa
Di tanto in tanto, mi tenda la tua mano.
愛、それは、
万物に於ける卓越、
惻隠の情、
苦悩の中の微笑み、
その名は愛、
愛は私達自身であり、
私達の天命である。
愛が見えない時、理解できない時にも、
探ることができない、慈愛に満ちた行為を
私達に行わせる。
お前が何も言わずに
小さな手を差し伸べる時、
きっと1度だけ、問うただろう。
私が好きか、と。
お前の愛が欲しいのではない。
お前を傍らに感じ、
時々、黙ってそっと手を差し伸べて欲しいのだ。
Hermann Hesse
2020.07.12
ベートーヴェンの「フィデリオ」から
第1幕の4重唱です。
Fidelio Quartet * Gale, Soderstrom, Caley, Appelgren
同じく4重唱。1950年版。
Beethoven - Fidelio - Quartet - Flagstad, Schwarzkopf, Dermota, Greindl - Furtwängler (1950)
スペインのお話です。夫が政治犯として囚われてしまった、
妻レオノーレは男装して、「フィデリオ」と名前を変えて
夫を救出すべく獄舎に乗り込み、牢番のもとで働き始めます。
牢番の娘はレオノーレを男と信じて恋し、娘の恋人は嫉妬する、
当惑するレオノーレ、娘の恋に乗り気な牢番、
4人の気持ちがカノンで歌われます。
「フィデリオ」のフィナーレです。
Fidelio , finale
地下牢に誰かが幽閉されている。
それは夫だった。刑務所長は邪魔な彼を殺害しようとし、
あわや殺害という場面で、レオノーレが身体を張って夫を守った、
まさにその時、司法大臣が到着を告げ、
彼らは助かりました。
夫の鎖を外したレオノーレは妻の誉と、人々に讃えられます。
「フィデリオ」(レオノーレ)は夫婦愛を謳った、
ベートーヴェンの唯一のオペラです。
こちらは、バーソさんから勝手に頂いた、
愛の歌の数々です。
バッハ「G線上のアリア」 Bach "Air on G String"
UTO UGHI - JULES MASSENET - THAIS - MEDITATION -
マスネーのオペラ「タイス」から、瞑想。
タイス(高級娼婦の意)と修道僧アタナエルの、番狂わせ恋愛劇です。
チャップリン: 映画「ライムライト」より:エターナリー[ナクソス・クラシック・キュレーション
老道化師カルヴェロはバレリーナとして、テリーを立ち直させる。
作曲家のネヴィルはテリーを愛しますが、テリーは、
カルヴェロを忘れられない、というよりカルヴェロしか目に入らない。
老いた道化師と美しいバレリーナの哀愁のある、恋のお話です。
チャーリー・チャップリン制作・主演。
このメロディは有名と思います。
It's Been a Long, Long Time
キティ・カレンのイッツ・ビーン・ア・ロングロングタイム。
ザ・ピーナッツ イッツ・ビーン・ア・ロング・ロング・タイム 1961 / It's
同じ曲をザ・ピーナッツで。
エディット・ピアフ バラ色の人生
まだまだ沢山ありますが、この辺で。
バーソさんのところでお聴きください。
バーソは自由に
締めは別府葉子で。
美空ひばりにしようかと思いましたが(歌唱力が素晴らしい)
別府さんの美しいフランス語で。
「バラ色の人生」 別府葉子
バーソさんは辞世の曲、とされていますが、長生きなさってください。
第1幕の4重唱です。
Fidelio Quartet * Gale, Soderstrom, Caley, Appelgren
同じく4重唱。1950年版。
Beethoven - Fidelio - Quartet - Flagstad, Schwarzkopf, Dermota, Greindl - Furtwängler (1950)
スペインのお話です。夫が政治犯として囚われてしまった、
妻レオノーレは男装して、「フィデリオ」と名前を変えて
夫を救出すべく獄舎に乗り込み、牢番のもとで働き始めます。
牢番の娘はレオノーレを男と信じて恋し、娘の恋人は嫉妬する、
当惑するレオノーレ、娘の恋に乗り気な牢番、
4人の気持ちがカノンで歌われます。
「フィデリオ」のフィナーレです。
Fidelio , finale
地下牢に誰かが幽閉されている。
それは夫だった。刑務所長は邪魔な彼を殺害しようとし、
あわや殺害という場面で、レオノーレが身体を張って夫を守った、
まさにその時、司法大臣が到着を告げ、
彼らは助かりました。
夫の鎖を外したレオノーレは妻の誉と、人々に讃えられます。
「フィデリオ」(レオノーレ)は夫婦愛を謳った、
ベートーヴェンの唯一のオペラです。
こちらは、バーソさんから勝手に頂いた、
愛の歌の数々です。
バッハ「G線上のアリア」 Bach "Air on G String"
UTO UGHI - JULES MASSENET - THAIS - MEDITATION -
マスネーのオペラ「タイス」から、瞑想。
タイス(高級娼婦の意)と修道僧アタナエルの、番狂わせ恋愛劇です。
チャップリン: 映画「ライムライト」より:エターナリー[ナクソス・クラシック・キュレーション
老道化師カルヴェロはバレリーナとして、テリーを立ち直させる。
作曲家のネヴィルはテリーを愛しますが、テリーは、
カルヴェロを忘れられない、というよりカルヴェロしか目に入らない。
老いた道化師と美しいバレリーナの哀愁のある、恋のお話です。
チャーリー・チャップリン制作・主演。
このメロディは有名と思います。
It's Been a Long, Long Time
キティ・カレンのイッツ・ビーン・ア・ロングロングタイム。
ザ・ピーナッツ イッツ・ビーン・ア・ロング・ロング・タイム 1961 / It's
同じ曲をザ・ピーナッツで。
エディット・ピアフ バラ色の人生
まだまだ沢山ありますが、この辺で。
バーソさんのところでお聴きください。
バーソは自由に
締めは別府葉子で。
美空ひばりにしようかと思いましたが(歌唱力が素晴らしい)
別府さんの美しいフランス語で。
「バラ色の人生」 別府葉子
バーソさんは辞世の曲、とされていますが、長生きなさってください。
2020.07.07
今日は七夕の日です。
牽牛と織女が1年に1度、落ち合うというか、
逢いまみえる(相見える)日です。
この日以外は彼らは、他の人たちと愛し合ったりしなかったのかしら?
と、お節介な老婆心のあるおばさんです。
馬に蹴られそうですね。
で、他人様の恋路を語ってもしようがないので、
自分の恋路を。
しかしね、沢山書きたいことがあって。
Flügelさん、ごめんね。1週間に1度以上になるかもしれません。
「セナと宗一郎」 「フィアトとエンゾー・フェラーリ」
「パヌルー神父とゴルトムント」を考え始め、
「ナルチスとゴルトムント」、
ペストの場面がありまして(第13~15章)
ゴルトムントは恋人に献身的な看護をします。
カミュの「ペスト」を分析して
「医療と科学」を認めた(したためた)翻訳家は、
主人公ドクター・リウを「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)の
遺産、継承としています。
深い話になって来ました。
私的には、ドクター・リウをドクターXと重ねて、
こんな時に大門先生なら、どうするかな、
やはりヒューマニズムに溢れたかただから、
同じように患者さん達の施療に当たったのではないか、
なんて想像してましたけど。
お腹が空きました。
続きは午後になります。
HONDA、FERRARIの他に、エントリーとして考えていますのは、
エンニオ・モリコーネ。
彼は昨日、亡くなりました。
享年92歳でした。
ニュー・シネマ・パラダイス、ミッション、アンタッチャブル、
海上のピアニスト、などの作曲者です。
今年、生誕100年のジャンニ・ロダーリ(童話作家になりますか)
イタリアで唯一人、アンデルセン賞を受賞した人です。
日本では、と思って調べたら受賞者5人いるのですね。
優秀ですね!
このうち、まどみちおは知っていました。
7月2日はヘルマン・ヘッセの誕生日でした。
その日はヒクメトゥに譲ってしまったのですが、
イタリアのジャーナリストが選んだヘッセの3つの詩があります。
それもエントリにしたいので、
週一では済みません。
それでは、ササッと今日のエントリを済ませてしまいましょう。
おばさんの恋のお話です。
と言っても片想いなのですけどね。
思えばナルチスはじめ、いつでも片想いでした。
私がイタリアに出発する前に、小学生だった甥が私に
「おばさんは日本でモテないんだから、どうせイタリアでも
モテねぇよ」と。
今にして思うと子供の観察眼というのは、なかなか鋭いものだと
感心します。
もう10数年前のこと(古い話だね)
滞在許可証取得のために、時々警察本部に行きまして、
私は日本国籍なので、許可証が必要なのです。
その時の警察官の1人が、親切で人が好く、堅実なかたで、
心惹かれまして、警察で会うたびに嬉しくなりまして、
彼を見ては喜んで傍に行き、
ある時、警察署前の小広場に立っていたので、
制服の裾を引っ張って追い駆けました。
制服というのは上が紺色で、おズボンがグレーです。
冬は長袖、夏場は半袖になります。
女性警察官も大概おズボンです。
紀章バッジが襟と肩に着いています。
肩には金色の鷲と金色の菱形バッジ。
身分によって菱形の数が違います。
で、その裾を引っ張ったら、
「Aiuto!! aiuto!!!」 助けて、助けて!!!と叫んで逃げるので、
引っ張ったまま、2人で小広場を半周してしまいました。
その後、私を見ると彼は一目散で逃げるのです。
なす術がないので、仕方なく、クリスマスと復活祭に
ここでイタリア語の手腕を発揮とばかりに、恋文を書きました。
名前は知っているのですが、苗字を知らず、
「2番の窓口にいるマルコさんへ」と。
恋文といっても、マルコと奥さんが2人で読んでも差し障りのない内容です。
お子さんはいないけれど、所帯持ちでした。
観たことのない奥さんを想像すると、、健康的で質実な、化粧っ気のない女性が
想起されました。
その後、警察署に行くと、同僚の人たちが私を見て
ニタニタと笑うので、嬉し恥ずかし年増のおばさん。
マルコは美男子ではありませんでした。
私は面食いではないので。
中肉中背で、笑うと人の好さがにじみ出て、
気さくなおじさん(お兄さん)と言った風な、
とても若く見える人でした。
私は追い駆ける方が好きなのです。
これが逆に、追い駆けて来られたら、
困惑します。逃げます、というより、
「あんた、奥さんがいるでしょう」と、頬っぺたをボッ叩き、
胴突いたり、インデアンデスロックなんぞかまします。
(そういうことをしたことはないですし、
そもそも男に追い駆けられたことが1度もないのです)
私は結婚しなかった分、結婚を神聖視しています。
伴侶を大切にする人は、全てを大事にすると思います。
ベートーヴェンが結婚に理想を持ち、神聖としたように。
恋はやさし野辺の花よ (唄:田谷力三)昭和46年放送より 日本歌謡チャンネル
恋はやさし野辺の花よ 田谷力三 OJ番外編
全て同じ曲です。
浅草オペラ・恋はやさし野辺の花よ(藤山一郎・歌唱).
牽牛と織女が1年に1度、落ち合うというか、
逢いまみえる(相見える)日です。
この日以外は彼らは、他の人たちと愛し合ったりしなかったのかしら?
と、お節介な老婆心のあるおばさんです。
馬に蹴られそうですね。
で、他人様の恋路を語ってもしようがないので、
自分の恋路を。
しかしね、沢山書きたいことがあって。
Flügelさん、ごめんね。1週間に1度以上になるかもしれません。
「セナと宗一郎」 「フィアトとエンゾー・フェラーリ」
「パヌルー神父とゴルトムント」を考え始め、
「ナルチスとゴルトムント」、
ペストの場面がありまして(第13~15章)
ゴルトムントは恋人に献身的な看護をします。
カミュの「ペスト」を分析して
「医療と科学」を認めた(したためた)翻訳家は、
主人公ドクター・リウを「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)の
遺産、継承としています。
深い話になって来ました。
私的には、ドクター・リウをドクターXと重ねて、
こんな時に大門先生なら、どうするかな、
やはりヒューマニズムに溢れたかただから、
同じように患者さん達の施療に当たったのではないか、
なんて想像してましたけど。
お腹が空きました。
続きは午後になります。
HONDA、FERRARIの他に、エントリーとして考えていますのは、
エンニオ・モリコーネ。
彼は昨日、亡くなりました。
享年92歳でした。
ニュー・シネマ・パラダイス、ミッション、アンタッチャブル、
海上のピアニスト、などの作曲者です。
今年、生誕100年のジャンニ・ロダーリ(童話作家になりますか)
イタリアで唯一人、アンデルセン賞を受賞した人です。
日本では、と思って調べたら受賞者5人いるのですね。
優秀ですね!
このうち、まどみちおは知っていました。
7月2日はヘルマン・ヘッセの誕生日でした。
その日はヒクメトゥに譲ってしまったのですが、
イタリアのジャーナリストが選んだヘッセの3つの詩があります。
それもエントリにしたいので、
週一では済みません。
それでは、ササッと今日のエントリを済ませてしまいましょう。
おばさんの恋のお話です。
と言っても片想いなのですけどね。
思えばナルチスはじめ、いつでも片想いでした。
私がイタリアに出発する前に、小学生だった甥が私に
「おばさんは日本でモテないんだから、どうせイタリアでも
モテねぇよ」と。
今にして思うと子供の観察眼というのは、なかなか鋭いものだと
感心します。
もう10数年前のこと(古い話だね)
滞在許可証取得のために、時々警察本部に行きまして、
私は日本国籍なので、許可証が必要なのです。
その時の警察官の1人が、親切で人が好く、堅実なかたで、
心惹かれまして、警察で会うたびに嬉しくなりまして、
彼を見ては喜んで傍に行き、
ある時、警察署前の小広場に立っていたので、
制服の裾を引っ張って追い駆けました。
制服というのは上が紺色で、おズボンがグレーです。
冬は長袖、夏場は半袖になります。
女性警察官も大概おズボンです。
紀章バッジが襟と肩に着いています。
肩には金色の鷲と金色の菱形バッジ。
身分によって菱形の数が違います。
で、その裾を引っ張ったら、
「Aiuto!! aiuto!!!」 助けて、助けて!!!と叫んで逃げるので、
引っ張ったまま、2人で小広場を半周してしまいました。
その後、私を見ると彼は一目散で逃げるのです。
なす術がないので、仕方なく、クリスマスと復活祭に
ここでイタリア語の手腕を発揮とばかりに、恋文を書きました。
名前は知っているのですが、苗字を知らず、
「2番の窓口にいるマルコさんへ」と。
恋文といっても、マルコと奥さんが2人で読んでも差し障りのない内容です。
お子さんはいないけれど、所帯持ちでした。
観たことのない奥さんを想像すると、、健康的で質実な、化粧っ気のない女性が
想起されました。
その後、警察署に行くと、同僚の人たちが私を見て
ニタニタと笑うので、嬉し恥ずかし年増のおばさん。
マルコは美男子ではありませんでした。
私は面食いではないので。
中肉中背で、笑うと人の好さがにじみ出て、
気さくなおじさん(お兄さん)と言った風な、
とても若く見える人でした。
私は追い駆ける方が好きなのです。
これが逆に、追い駆けて来られたら、
困惑します。逃げます、というより、
「あんた、奥さんがいるでしょう」と、頬っぺたをボッ叩き、
胴突いたり、インデアンデスロックなんぞかまします。
(そういうことをしたことはないですし、
そもそも男に追い駆けられたことが1度もないのです)
私は結婚しなかった分、結婚を神聖視しています。
伴侶を大切にする人は、全てを大事にすると思います。
ベートーヴェンが結婚に理想を持ち、神聖としたように。
恋はやさし野辺の花よ (唄:田谷力三)昭和46年放送より 日本歌謡チャンネル
恋はやさし野辺の花よ 田谷力三 OJ番外編
全て同じ曲です。
浅草オペラ・恋はやさし野辺の花よ(藤山一郎・歌唱).
2020.07.03
大岡の忠相どのより、
コメントです。
「あまり知られていない法案ですが、
種子法、種苗法、遺伝子組み換え、ゲノム編集、
農業競争力強化支援法、
これらは全て繋がっている。
政府は国民に詳細に説明すべきだった。すべきである。
「外国に種苗を盗まれないため」というのは、
ほんの一部の理由、もしくはカモフラージュだ。
問題点を列挙していると、ここでは長くなる。
詳細にまとめているブログがあるので
ご紹介しよう。
オーガニックを研究されているかたのホームページです。
WORD ME
2020-06-27 : 大岡の忠相 URL : edit
コメントです。
「あまり知られていない法案ですが、
種子法、種苗法、遺伝子組み換え、ゲノム編集、
農業競争力強化支援法、
これらは全て繋がっている。
政府は国民に詳細に説明すべきだった。すべきである。
「外国に種苗を盗まれないため」というのは、
ほんの一部の理由、もしくはカモフラージュだ。
問題点を列挙していると、ここでは長くなる。
詳細にまとめているブログがあるので
ご紹介しよう。
オーガニックを研究されているかたのホームページです。
WORD ME
2020-06-27 : 大岡の忠相 URL : edit
2020.07.02
トルコ語が読めませんので、
イタリア語からの訳しです。
ナツィム・ヒクメトゥの「愛の詩」から
Poesie scelte: NAZIM HIKMET, Poesie d'amore (Milano, Mondadori 1963).
La vita non è uno scherzo.
Prendila sul serio
come fa lo scoiattolo, ad esempio,
senza aspettarti nulla dal di fuori o nell'al di là.
Non avrai altro da fare che vivere.
La vita non è uno scherzo.
Prendila sul serio
ma sul serio a tal punto
che messo contro un muro, ad esempio, le mani legate,
o dentro un laboratorio
col camice bianco e grandi occhiali,
tu muoia affinché vivano gli uomini
gli uomini di cui non conoscerai la faccia,
e morrai sapendo
che nulla è più bello, più vero della vita.
Prendila sul serio
ma sul serio a tal punto
che a settant'anni, ad esempio, pianterai degli ulivi
non perché restino ai tuoi figli
ma perché non crederai alla morte
pur temendola,
e la vita peserà di più sulla bilancia.
1948
人生は遊びではない。
真摯に受け取りなさい
譬えばリスがするように、外にいて、
あるいは、他の場所で君を待っているわけではない。
生きるより他にはない。
人生は遊びではない。
真摯に受け取りなさい
しかし、人生は時折、手を縛り壁の前に立たせる
あるいは、白衣と大きな眼鏡で、
実験室に閉じ込める。
君は、他の人間が生きるために死ぬだろう
その人間を知らずに。
知らないで死ぬ、ということが、君は
何よりも美しく、真実であることを知っている。
真剣に受け取りなさい。
70の歳になった時に、
譬えばオリーブの木を植えるかもしれない
それは君の子供に残すためではなく、
死を恐れながらも、死を信じないために、
そして、人生は秤にかけられるよりも重くなる。
1948
(日本語訳;僭越ながらミルティリおばさん)
lo scherzo は交響曲などの第3、4楽章に取り入れられています、
冗談、諧謔といった意味ですが、
遊び、と訳してみました。
最初に白のワイシャツと書きましたが、
実験室なので白衣です。
間違い、失礼いたしました。
イタリア語からの訳しです。
ナツィム・ヒクメトゥの「愛の詩」から
Poesie scelte: NAZIM HIKMET, Poesie d'amore (Milano, Mondadori 1963).
La vita non è uno scherzo.
Prendila sul serio
come fa lo scoiattolo, ad esempio,
senza aspettarti nulla dal di fuori o nell'al di là.
Non avrai altro da fare che vivere.
La vita non è uno scherzo.
Prendila sul serio
ma sul serio a tal punto
che messo contro un muro, ad esempio, le mani legate,
o dentro un laboratorio
col camice bianco e grandi occhiali,
tu muoia affinché vivano gli uomini
gli uomini di cui non conoscerai la faccia,
e morrai sapendo
che nulla è più bello, più vero della vita.
Prendila sul serio
ma sul serio a tal punto
che a settant'anni, ad esempio, pianterai degli ulivi
non perché restino ai tuoi figli
ma perché non crederai alla morte
pur temendola,
e la vita peserà di più sulla bilancia.
1948
人生は遊びではない。
真摯に受け取りなさい
譬えばリスがするように、外にいて、
あるいは、他の場所で君を待っているわけではない。
生きるより他にはない。
人生は遊びではない。
真摯に受け取りなさい
しかし、人生は時折、手を縛り壁の前に立たせる
あるいは、白衣と大きな眼鏡で、
実験室に閉じ込める。
君は、他の人間が生きるために死ぬだろう
その人間を知らずに。
知らないで死ぬ、ということが、君は
何よりも美しく、真実であることを知っている。
真剣に受け取りなさい。
70の歳になった時に、
譬えばオリーブの木を植えるかもしれない
それは君の子供に残すためではなく、
死を恐れながらも、死を信じないために、
そして、人生は秤にかけられるよりも重くなる。
1948
(日本語訳;僭越ながらミルティリおばさん)
lo scherzo は交響曲などの第3、4楽章に取り入れられています、
冗談、諧謔といった意味ですが、
遊び、と訳してみました。
最初に白のワイシャツと書きましたが、
実験室なので白衣です。
間違い、失礼いたしました。