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ミサ・ソレムニス

「第九」の初演は1824年5月で、
教会で演奏できるシロモノではない、と言われる
「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)」の初演は、
その先月の4月でした。
サンクトペテルブルグでの初演でした。

サン・ペテルブルグは嘗てのロシアの首都で、
首都は何度か変遷しています。
モスクワ→サン・ペテルブルグ→モスクワ と。
ピョートル大帝(ピョートル一世)が、昔、
モスクワからサン・ペテルブルグに首都を移したのです。
自分の名前(ペテロ)に因んで
「聖ペテロの町」としたのです。

「皇帝と船大工」、これはオペラにもなっていまして、
ピョートル大帝が主人公のお話です。
ご存じのかたはご存じの、ロルツィング(ドイツ人)の
喜歌劇です。

このオペラは、また次回。

で、ミサ・ソレムニスのデッサン、スケッチは
1819年に始められ、4年間を費やしたと言われます。

ピアノ協奏曲第4番や第5番「エンペラー」、
ピアノ・ソナタ「Les adieux; 告別」 などを献呈した
ルドルフ大公(ルドルフ大司教)に、このミサも
献上されました。

「第九」はプロイセン(ドイツ北部からポーランド西部にかけての
嘗ての王国)の、
フリードリヒ・ウィルヘルム3世に献上されました。

18世紀から19世紀にかけて、
インドはイギリスの植民地でした。
その頃にはヨーロッパにインド物件が流入し、
哲学や宗教も入って来ました。
ゲーテがインド哲学に興味を持ったように、
ベートーヴェンもインドの宗教や、
インド音楽の音階に興味を持ちました。

それは、ラヴェルがジャズを取り入れたり、
ドビュッシーが北斎の絵からインスピレーションを得て
音楽としたようなものかと考えます。

ドビュッシーがどこまでもドビュッシーなように、
(インド音階を取り入れたとしても)
ベートーヴェンはベートーヴェン、
カトリックのベートーヴェンであると思います。
ただ、カトリックの神を、普遍的な神にまで
彼は昇華したのだと考えます。

Leonard Bernstein & Concertgebouworkest Amsterdam - Beethoven: Missa solemnis

 約1時間半近くと長いので、区切ってお聴きください。
  1.キリエ
  2.グローリア
  3.クレド
  4.サンクトゥス・ベネディクトゥス
  5.アニュス・デイ

また、書き足すことがありましたら、加えて行きます。

良いお年をお迎えください。
イタリア、ヨーロッパではワクチンの流布、不足で騒がれています。
コロナが収束しますように。
世界が健康になりますように。
地震が最小の被害で済みますように。

拙ブログを見てくださったかたにも、
見てくださらなかったかたにも
良いお年でありますように。

御礼申し上げます。
来年もよろしくお願い申し上げます。


  

 





クリスマスコンサート

2か月ほど前に、通行人Yさんが、
コンサート・ホールに行かない代わりに、
お家でお聴きになったコンサートです。

クリスマス協奏曲です。
Corelli - Concerto n°8, op. 6, "fatto per la notte di natale"
 
Corelli Christmas Concerto; Op.68 -- Freiburger Barockorchester
 同じくコレッリ、クリスマス協奏曲。同じ曲です。
 クリスマス・グロッソ・コンチェルトとも言われるものです。

 アルカンジェロ・コレッリ(1653~1713)
 ヴァイオリンとオーケストラの発展に貢献した、
 ヴァイオリニスト、作曲家です。

通行人Yさんはもう2つほど紹介なさっていました。
そのうちの1つ。フルート協奏曲ニ短調。
これは、ヨハン・セバスティアン・バッハの息子の、
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの音楽です。
父さんのバッハは、あまり息子の音楽を買っていませんでしたが、
これは名曲と思います。
クリスマスとは関係がありませんが。

リンクしたつもりで、していませんでした。
O, che tonta!
エマニュエル・バッハのフルート協奏曲ニ短調、
こちらです。
Carl Philipp Emanuel Bach - Flute Concerto in D minor, Wq 22


雰囲気が変わってしまいますが、
Bolshoi Ballet- Coppelia: Mazurka

バレエ音楽「コッペリア」より マズルカ
 どちらも同じ曲です。
 レオ・ドリーブ(1835~1891)のバレー組曲「コッペリア」から
 マズルカです。ポーランドを舞台に繰り広げられる喜劇です。


                  聖ステファノの日に

畏怖 威風 荘厳

油絵画家の林武が、絵画に興味はあるが鑑賞の仕方が解らない、
という人のために助言をしています。
良質な絵の見分け方は「先ず第一に絵に品格があること。
第二に単純であること」。
それは当にベートーヴェンの音楽に当てはまります。
ヘンデル、ハイドンから始まる(ヘンデルはバロックに分類されますけれど)
古典派(クラッシク)は、ベートーヴェンで、
その頂点に達します(異論はないと思います)
西洋三大ピアノ協奏曲のうちの1つ、
「エンペラー」が動かしがたい典雅と尊厳の頂点であることにも
異論はないと思います。
勿論、他の2曲も素晴らしい音楽であることに違いはありません。

ベートーヴェンは、もともとピアノ演奏家としてボンからウィーンにやって来たのです。
とりわけ彼の即興演奏はすばらしかった、そうです。
演奏会が行われる広間での重鎮でありました。
開催するのは貴族たちです。
この時代に音楽家を支援するのは国王や貴族でした。
即興演奏をする時の彼の形相は悪魔のようだったそうです。
演奏が始まると、彼は無限の精神王国に入り、魔術師のように、
聴いている人たちを魅了しました。
演奏が終わると人々は呆けたように感動し、青ざめていました。
彼は言うのでした「貴方たちは気が触れたのか!?」
ある時、1人の婦人が彼に「今日は悪魔が貴方に降臨しなかった」
「ええ、今日は美しい天使がいましたから」

後に耳を患い、1802年「ハイリゲンシュタットの遺書」を認め、しかし、
それを乗り越え、1804年の「エロイカ」を始めとする
10年間に渡る「傑作の森」(ロマン・ロラン評)と呼ばれる時代の、
傑作の1つが「エンペラー」ピアノ協奏曲「皇帝」です。
1809~1810にかけての40歳、円熟味が増した頃の作品です。
当時はウィーンに取って慌ただしく忌まわしい時期でした。
ナポレオンがウィーンを占拠。
師のハイドンもその年に亡くなり、
ベートーヴェンは詩人である友人のイニャーツ・フランツ・カステッリ、
あるいは兄弟の家に避難し、爆撃を逃れたのでした。
そんなこんなの時期に作曲したのがエンペラーです。
ピアノ・ソナタ「わかれ」も同時期の作品です。何という作曲家魂!

ルドルフ大公に献呈されたこの曲は、初めタイトルは無しでした。
「エンペラー」と後に命名したのは出版者・ピアニストのヨハン・バプティスト・クレーマーです。
フランス革命の理念に共鳴した「エロイカ」はナポレオンに捧げられましたが、
(後にナポレオンに失望した話は有名かと思います)


初演はリプシア(ライプツィヒ)でフリードリヒ・シュナイダーが、
2度目がウィーンでカール・ツェルニー(ベートーヴェンの弟子でピアノ教則本も書いた、
ネコ好きの作曲家)でした。他のピアニストも演奏しましたが、
アルゲマイネ・ムジカーリシュ・ツァイトゥング(アルゲマイネ音楽通信)によると、
結果不評であったとか。
当時、「エンペラー」にしてはオーケストラが30人未満で小編成ですし、
かなり改良が進んではいたものの、ピアノの前の世代のフォルテピアノでは
現代とは音色が違います。
1度、フォルテピアノでベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」を聴きましたが、
私も拍手するのは気が進みませんでした。
モーツァルトならもう少し良かったのではないか、な。 というより、
モーツァルトのピアノ曲にはフォルテピアノが適しているような気がします。
「皇帝」には、やはり75名前後のオーケストラと、
シュタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインなどが必要です。
ヤマハ、カワイも好いかもしれません。

「皇帝」はシュタインウェイD-274の出現を予見したかのような作品で、
3千人からの会場でコンサート用のピアノが当に似合う協奏曲です。

16日には書き上げたかったのよ。
また、明日に続きます。

ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(エンペラー)
Arthur Rubinstein. Beethoven piano concerto no 5 Emperor [FULL] [LIVE] in Jerusalem


MAURIZIO POLLINI - Beethoven Piano Concerto # 5 (Emperor) / ABBADO /Sinfonica di Roma
 イタリア人演奏の「皇帝」

書き足したかったのは、この曲の簡単な説明で、
聴く際の興味に繋がればよろしいかなぁ、と。
第1楽章、第2楽章、第3楽章とありまして、
第1楽章はお馴染みソナタ形式です。
冒頭はオーケストラのトゥッティがピアノ・カデンツァを導き、
弦楽器が元気の良い、生き生きとした第一主題を提示します。
短調となり、第二主題へ移行。
やはり力強い第二主題は、第一主題が出て来て小結尾。

展開部は第一主題を中心に掘り下げられ、補充されて展開して行きます。
最後に冒頭のカデンツァが力強く奏されて再現部に突入します。

第二楽章は、ベートーヴェンお馴染みの、
静かで、この上なく柔和な中間楽章です。
第九の第三楽章ですね。
弱音器つきのヴァイオリンと、ホルンに支えられつつ、
途切れなく第三楽章に移ります。

第三楽章 ロンド。ロンド形式です。
A-B-A-C-A 
「エリーゼのために」もロンドですね。
ロンド主題、副主題が再現され、
最後にピアノとティンパニだけが残り、段々消え入るかのように見え、
突然、息を吹き返したかのように力が戻って、
壮大なフィナーレとなります。

ひとことで言いますと、ピアノとオーケストラの掛け合いの音楽です。

国会質疑応答の掛け合いも、これぐらい清々しいとよろしいのにね。





戦場の鐘音

メルヒェン・コール
  
      戦場の鐘音

 昔、昔のこと。怖ろしい大戦争がありました。
昼夜問わずに弾丸が飛び交い、
敵の兵士も味方の兵士も、その多くが死んでしまいました。
長い長い戦争が続き、大砲を作ろうにも青銅、鉄、
銃や剣までもが不足してしまっていました。
 そこで、私たちの隊長である強行採決大将軍は、
すべての鐘を鐘つき堂(鐘楼)から引き下ろすように命令しました。
「その鐘を溶かして1つの巨大な大砲を作れ。たった一発で敵を粉砕する大砲を」と。
 さて、完成した大砲を持ち上げるのには、10万台のクレーンが必要でした。
国境まで運ぶのには、97台の列車が必要でした。
大将軍はご満悦。「私の大砲が炸裂する時は、敵どもは月まで逃げて行くだろう」
にんまり笑って言うのでした。
 いよいよ一大勝負の時が来ました!
巨大な大砲は敵陣に狙いを定めます。
耳の鼓膜が破れてしまわぬように、綿を耳に詰め込みます。
強行大将軍が命令します。「撃て!」 
砲兵がボタンを押しました。すると突然、「ゴーン!」と、
国境でとてつもない大きな鐘の音が聞こえました。
驚いた私たちは、音がよく聞こえるように耳栓の綿布を取り外しました。
無数のこだまが山々や谷に響き渡りました。
「キン! コン! カーン!」
「撃て!」2発目の命令を大将軍が下します。
新たに、鐘の音が陽気に、防砦壕から防砦壕へと響き渡ります。
それは、祖国の鐘が一斉に鳴り響いたかのようでした。
怒った強行大将軍は自分の髪を掻き毟り、掻き毟り、
とうとう毛が一本になるまで、掻き毟り続けました。
 少しの静寂の後に、国境の向こう側から答えるような、
リン・ゴーンという大砲の轟音。
というのは、敵の大将、お陀仏元帥も同じことを考え、
国中の鐘で大砲を作ったのでありましたので。
こちら側の大砲がキンコン!と鳴れば
あちら側でもカーン!と答え、
驚いた兵士たちは2つの防砦壕(ぼうさいごう)から躍り出て、
「鐘だ、鐘だ!祝いの鐘だ!平和がやって来たんだ!」
と彼らは叫んで駆け寄り、出会った敵味方は互いに踊り喜びました。
 強行大将軍とお陀仏元帥は、
彼らの車でベンジンが尽きるまで遠くに逃げて行きました。
けれども鐘の音は、なおも2人を追いかけて行くのでした。

今年、生誕100周年の、ジャンニ・ロダーリの"Favole al Telefono″という
短編童話集のうちの1つです。
"Favole al Telefono″は直訳しますと
「電話で童話を」になりますが、
「メルヒェン・コール」と訳してみました。
国内を駆け巡って医薬品セールスの仕事をする計理士のビアンキさんが、
「パパのお話なしでは眠れない」と言う、
彼の幼い娘に毎晩9時に電話で語る童話の数々です。
お父さんが語る童話に電話交換手も、しばし聞き入ったのでした。

上記の短編は全70話のうちの、第21話です。
原題は"La guerra delle campane″「鐘の戦争」ですが、
「戦場の鐘音」と意訳しました。

翻訳は翻訳者の数だけある、人の数だけある、と
考えていますので、原書をご存知なら、
訳してみてください。
それほど難しい作品ではないです。

10万台のクレーンや97台の列車があるなら、
鐘を溶かさなくてもいいのでは、
ボタン1つで発砲できる大砲とは、いつの時代のものか、
と突っ込みを入れたくなりますが、童話ですから。
私のお気に入りの一篇ではあります。

ジャンニ・ロダーリはピエモンテ州のオメーニャという所に生まれ、
1920~1980ローマで亡くなりました。
教員を経てジャーナリスト、童話作家となった人です。
"Favole al telefono″は、初版が1962年。
彼は1970年にはアンデルセン賞を受賞しました。
ロダーリは言葉遊びに長けた作家でした。
Favole al telefonoを自ら評して、
「全ての短編が自信作ではない。
ma sfido, alcune cose sono belline.
けれど、私はチャレンジします(読者に)
いくつかは素敵な(可愛らしい)作品だ。
(いくつかの作品は傑作だ)

ある女性がこの作品にコメントを寄せました。
「私が眠る前に、大好きなお父さんがベッドの脇に腰かけて、
毎晩、Favole al telefonoを読んでくれた。私には忘れられない童話です」

ジャンニ・ロダーリにもパオラという娘が1人おりました。


鐘といえば、そろそろ除夜の鐘が鳴る時期です。
鐘の有名処は、
 祇園精舎の鐘の声
 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色
 生者必衰の理をあらわす
 奢れるもの久からず
 ただ春の夜の夢の如し

鎌倉時代に生まれ、琵琶法師によって伝えられた「平家物語」の冒頭です。
祇園精舎はインドにあり、その当時、鐘はなく、近年になって寄贈
されたのだそうです。
(想像の耳奥で鳴る鐘の方が心に響くことがあるかもしれません)

日本最古の梵鐘は7世紀末に、京都は妙心寺(福岡県の観世音寺の鐘と共に作られたました)
鐘の鋳造(ちゅうぞう)は6世紀に、仏教伝来と共に、
中国の技術が朝鮮半島(高句麗)を経て入って来ました。
黄鐘調の鐘音です。

従然草の中で吉田兼好が「凡そ鐘の声は黄鐘調なるべし、
これ無常の調子、祇園精舎の無常院の声なり、
西園寺の鐘、黄鐘調に鋳られるべしとて、・・・etc

黄鐘調(おうしきちょう)というのは、
雅楽の3つある形態のうち「管弦」の6つの音階の中の、その1つです。
鐘造りにあたって現代では、振動形態,波長,周波数をコンピューターと共に
何百人もの職人さんたちが手作りします。
手作りといえば、フェラーリ、ポルシェ、
シュタインウェイ、べーゼンドルファーなんかも手作りです。
だから、お値段が張るわけです。

熊本県にある蓮華院誕生寺の梵鐘は日本一の大きさなのだそうです。
初詣でにぎわう、「飛龍の鐘」と呼ばれるその鐘は、
直径2.88メートル、高さ4.55メートル。重さは「満願」に通じる「一万貫」(=37.5トン)だそうです。

世界最古の鐘は紀元前1000年、バビロン近くで見つかったものだそうです。
紀元前900年、ソロモン王は鳥を追い払うために、
金でできた沢山の鐘を屋根に置きました。
紀元前8世紀の中国にも鐘が見つかっています。西周、東周の時代ですね。

世界一大きな鐘はモスクワ、クレムリンの「ザールの鐘」と呼ばれる、
直径6,82 m 、198 トンもあるものです。 ロシア人も鐘がとてもお好きなようです。
浅田真央選手が、カナダ・オリンピックでラフマニノフの「鐘」を披露しました。
「鐘」ではなく、「007」「道」「トゥーランドット」なんかを滑れば、
1等賞が取れたのに、と思って見ていました。
コーチのタチアナさんは、しかし自分の祖国の「鐘」を日本人選手に踊らせる 
というのはすごいな、
それだけ真央ちゃんを高く評価していたのでしょう、とも考えました。

第二次世界大戦中には日本でもヨーロッパでも、
兵器製造のために鐘が取り壊されました。
日本では金属類回収令(昭和16年9月1日施行)が公布されました。

音楽を3つほどリンクします。
よろしかったらお聴きください。

チャイコフスキー - 大序曲《1812年》Op.49 カラヤン ベルリンフィル
  1812年にナポレオン、ロシア遠征でロシアにしてやられた時の音楽
  チャイコフスキー 大序曲「1812年」

Shostakovich Symphony No.11, mov't 4
  ショスタコーヴィチのシンフォニー第11番第4楽章「警鐘」
  ソヴィエト連邦政府は、旧体制の帝国主義を批判したこの曲を作った功績として
  ショスタコーヴィチにレーニン賞を与えました。
  しかし、本当に彼が批判したかったのは当時の政府では。

2曲とも鐘の音がゴンゴンします。チャイコフスキーにいたっては
大砲まで活躍します。


気分を変えてビゼーの組曲「アルルの女」
Bizet - L'Arlésienne Suite No. 1 & Suite No. 2 / Nathalie Stutzmann
  第1組曲か第2組曲に「カリヨン」というのがあります。
  探すの面倒だから全曲お聴きになってください。
  ご存知の音楽と思います。

エンヤトット・ミュージック

A.GIDEさんからいただいたコメントとリンクです。
「ヘッセは神学校を脱走して
時計工をしたり本屋で働いたりしたが、、
岡林も神学校を退学して、
農民をし、山谷で日雇い労働をしたり、
児童施設を支援したりと
暗中模索、紆余曲折し、

山谷時代の経験から生まれた歌は
彼のヒット曲となった。
それがこの曲。
山谷ブルース

がいこつの唄。
がいこつの唄

今、聞いても決して古くない。
評価されるべき歌かと思う」。

確かに古くない歌ですね。
政治家(政治屋)というのは時が変わっても、
形態、実情、性情は変わらないようです。

「がいこつの唄」には特に共鳴します。
ひところ前に、人間の外観よりも中身を、
つまり骨格を、がいこつを見ようとしたことがあります。
今でも、そんな傾向があります。
勿論、自分に対しても。

自分の外見を飾り立ててみたい時期はあるもので、
20歳前後から20代ですね。
それを通り過ぎたら、洒落っ気がなくなり、
特別なことがないかぎりノーメイクです。

母から「あんた、も少しお洒落しなさいよ」なんて言われて、
それに答えて私が言うには、
「いくらイケメンでも美人でも、エレガントに着飾っていても、
その人が『大きな便り』を出すところを想像すると幻滅だ」
母は呆れ返って私を見て、何も言わなくなりました。
母の方が女性だったのでしょうね。

有難いことにイタリアでは、「水と石鹸」、ノーメイクの女性に
好感を持つ人が少なからずいて快適であります。

私は「美人」と言われたことは1度もありませんが、
fine、 raffinata 「洗練されている」 「品が良い」などと
時折、言われます。
これ、身自慢ですね。バカの身自慢ですものねぇ。
バカが知られないうちに、この辺で。

岡林信康の歌をもう1曲。

くそくらえ節・岡林信康






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ミルティリおばさん

Author:ミルティリおばさん
住まいはイタリア、ペルージャです。
翻訳 フリーランサーです。

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