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善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや

随分と昔の記事を、再度、エントリといたします。

「なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人
殺せといわんに、すなわち殺すべし。しかれども一人にても
かないぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて
殺さぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人を殺すことも
あるべし」

親鸞聖人(1173~1262)が生きたのは貴族から武家の政権に
変わった鎌倉時代の初期、不穏な時代でしたので、
殺す殺さぬは、あり得たことです。今でもあり得ることですが、
現代でこういう事が起こったら一大事です。

ヨーロッパでは現在、死刑はありませんが、これは
今まで散々惨いことをして来たための反動なのではないでしょうか。
「日本には死刑がある」と言うと、
「イタリアにも必要だ」と言う人もいます。

犯罪に関して、人権尊重を謳うなら、
先ず被害者の人権を考えるべきだと思うのです。
被害に遭った方達の身になる事が最重要ではないですか。
残念ながら当然ながら私は死刑肯定論者です。
「罪と罰」のようにやむなく殺害してしまった、という事件は今日では
少ないでしょう。

「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲も多く、いかり、
腹立ち、嫉み、妬むこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまで
とどまらず」
恥ずかしながら身に詰まされる言葉です。
外の世界のことではなく自分の内なる世界です。

「罪業もとより形なし 妄想転倒のなせるなり、心性もとより清けれど
この世はまことの人ぞなき」
と、納得します。それで、

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」
と、希望を持つわけです。私個人のことです。
内面世界のことなので、これを人間が生きるための秩序である法律と
結びつけるのは理不尽です。

「安養浄土の荘厳は 唯仏与仏の知見なり究竟せること虚空にして
広大にして辺際なし。本願力にあいぬれば むなしくすぐる人ぞなき」
と、信仰をいよいよ深め、

「宝林宝樹微妙音 自然清和の伎楽にて、哀婉雅亮すぐれたり
清浄楽を帰命せよ」
(宝林宝樹みみょうおん じねんしょうわの、ぎがくにて
あいえんがりょうすぐれたり しょうじょうがくを、きみょうせよ)

浄土の宝の樹々が歌う音楽(悟りに至った人の説法)は、
妙なる清らかな音楽のように、説く側にも聞く側にも、
心地よく澄んで美しく鳴り響く。

このような音楽が気持ちの底に染み透って来ればなぁ、と耳を澄ませたり
してみます。


破闇満願 はあんまんがん 
 光が無明長夜の闇を破り、衆生の願を満たす。願いと言うのは
 私の個人の都合による願いではなく阿弥陀如来の願い、
 則天去私、生命の法則に適った願いです。
 ゲーテが亡くなる前に「もっと光を!」と言いました。
 この場合の光、を未だに良く把握出きません。
 あるいは聖人と同じ意味合いでの光なのかもしれません。

「一一のはなのなかよりは
三十六百千億の
光明てらしてほがらかに
いたらぬところはさらになし」


親鸞聖人 田植え歌
 五劫思惟の苗代に 兆歳永劫のしろをして 雑行自力の草をとり
 一念帰命の種おろし 念々相続の水流し 往生の秋になるぬれば
 実りを見るこそうれしけれ

お百姓さんと共に田畑仕事をなされた聖人、禅は武士の仏教で
浄土真宗は農民の仏教と言われました。



The Great Dictator 独裁者

「独裁者」は1940年にチャーリー・チャップリンが制作し主演した米国映画で、
初めての音声(トーキー)映画です。
2週間ほど前にバーソさんがチャップリンの「街の灯」をトピックにしていらした時に、
早速、私が想起しましたのは、昨年来、イタリアで、
コーヒーのコマーシャルに使用されているチャップリンの「独裁者」でした。
甘く切ない名作「街の灯」とは少し違う、「独裁者」はヒットラーと戦争を揶揄した、
ひと言で言うと反戦映画です。

「ラヴァッツァ」という1895年来、歴史のあるコーヒー・ブランドが、
これを昨年春、宣伝に使用しました。
コマーシャル・キャンペーンを張った途端、ツイートと動画のコメントが
センセーショナルに賑わいました。
コーヒーのキャッチフレーズは「good morninng, humanity」
(こんにちは、ヒューマニティ)
1分にも満たないコマーシャルです。

チャップリンとヒットラーは同年1889年4月生まれです。
不思議な巡り合わせですね。
第一次世界大戦中、トメニア国(ドイツのもじり)に君臨する
独裁者アデノイド・ヒンケル(アドルフ・ヒトラーのもじり)と、
そしてヒンケルによく似たユダヤ人の床屋さん、この2人が主役で、
チャップリンは、ヒットラーと床屋さんの1人2役を演じています。

兵士として戦っていたユダヤ人床屋は、飛行機事故に遭い
記憶喪失となって病院で養生する間に世の中の情勢は変化していました。
ヒンケルがユダヤ人迫害を始め、人々から自由と民主主義を奪い取り、
トメニアをはじめとする国々を支配下に置いていたのです。
ゲットー(ユダヤ人の地域)に戻った彼は和やかに暮らし、
ハンナという若い女性とも親しくなります。が、
ヒンケル兵士たちによって強制収容所送りとなってしまいます。
彼は軍服を収容所から盗み出し、何とか逃げ出したはいいものの、
ヒットラーとよく似ていることから、ヒンケルと間違えられたまま、
トメニア軍に占領されたオーストリッチの首都へ連れて行かれ、
大勢の兵士が集う広場で演説することを余儀なくされます。
ラジオ放送もなされる中、恐る恐るマイクの前に立った彼は話し始めます。
もじもじと内気に。しかし徐々に熱を帯び、自由と寛容、人種の壁を越えた善隣、
社会調和を訴えた演説となります。
演説を終えた彼は兵士たちの拍手喝采の歓喜を受けます。
この最後の5分間演説シーンは、市民の視点に立った、
この映画の山場であり全てです。

1940年の映画ですが、ヒットラーはこの演説シーンの後、
お得意の演説を止めてしまったそうです。

「愛国心とは狂気である。愛国心が戦争を産む」

チャップリンは第二次世界大戦後、
この映画によって住んでいたアメリカ合衆国から追放され、
ベトナム戦争敗戦後に、映画はヒットし始めました。
イタリアでも、演説シーンは大変有名です。

「我々人類は皆いつも助け合うべきではないだろうか。
互いに憎み合ったり軽蔑し合ったりせず
、隣人の幸福をのみ喜ぶべきではないだろうか。
この世界には皆の居場所がある。自然は豊かだ。
我々皆の分がある。諸君の心の中には人類への愛がある。
諸君にはこの生を自由で輝かしいものにし、素晴らしい冒険に変える力がある。
闘おう、新しい世界のために。
皆に仕事を与える、公正な世界のために。
若者には未来を、高齢者には安心を。
境界や障壁を一掃し、貪欲、憎悪、不寛容を一掃し、
世界を解放するために闘おう。
理性ある世界、科学と進歩が万人に福祉をもたらす世界をめざして闘おう。
皆で団結しよう!」

中田敦彦氏が、この映画を非常に良く解説しています。
ヒトラーvsチャップリン①】最も憎まれた独裁者と最も愛された喜劇王

【ヒトラーvsチャップリン②】映画「独裁者」で笑いという名の爆弾投下

イタリア・ラヴァッツァのCM動画も探してみます。
後ほどに。


Spot Lavazza Charlie Chaplin doppiato in italiano "BUONGIORNO UMANITÀ" - "Good Morning Humanity"
  同じCMです。イタリア語と
  英語です。
Good Morning Humanity - Spot 60"



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ミルティリおばさん

Author:ミルティリおばさん
住まいはイタリア、ペルージャです。
翻訳 フリーランサーです。

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