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ナルチスとゴルトムント

すばらしいナルチス像を造ったゴルトムントに、
マイスター・二クラウスが言い寄ります。
二クラウスはムント君の腕に惚れ込み
ここで働くように、娘婿になるように、
勧めます、180度態度を変えた親娘。
しかしムント君はお断りしました。
断られて気を悪くしたマイスター、
だってマイスター、最初に「自分の弟子にはしない、
お前を重要視しない、ただ、自分の所で何がしか
学ぶものがあるだろう」と、
言っていたのではないですか。

ゴルトムントは放浪者ですもの。

町での生活を切り上げて、又旅に出ます。

ここで重ねて思い合わせますのが、
シューベルトの「美しき水車小屋の娘」の
第一曲目「さすらい」 Das Wandern

O Wandern, Wandern, meine Lust, o Wandern
Herr Meister und Frau Meisterin,
laßt mich in frieden weiterziehn,
und Wandern, und Wandern !

おう、流離! 流離は私の喜び、
マイスター、マイスターの奥さんよ、
何も言わずに旅を続けさせておくれ、
あぁ、心焦がれる流離! 

意訳です。ドイツ語なさっている方は、
辞書を一語一語見て下さい。

ウィルヘルム・ミラーの詩にシューベルトが作曲しました。
あれやこれや音楽を聴いていて、時折シューベルトを聴くと
ホッとします、というか、あぁ、シューベルトだなぁ、と感じいります。
各小節が単調だという人もいますが、天才性から迸り出た音楽と
感じないのかな、
ピアノ伴奏が曲作りに多大な貢献をし、表現しています。
「ます」 「水面に歌う」 など、陽の光がキラキラ輝くような
伴奏です。

シューベルトは31歳で梅毒で亡くなったのですが、それはそれ、
友人が沢山いて、いつも赤貧洗う彼の生活の手助けをしていました。
ある日、友人達がゲーテのもとに「魔王」(ゲーテの詩)を
持って訪れました。ゲーテはその曲に興味を示さず、友人達は
手ぶらで帰りました。ゲーテはシューベルトよりも、レーヴェの「魔王」
を評価していたそうです。

ゲーテを悪く言うつもりはないけれど、詩に限って言えば、
「魔王」 「野ばら」 「ガニュメート」など、シューベルトのおかげで
後世に歌い継がれて知名度アップの詩ですのにね、ゲーテさん。

音楽が頭に浮かぶと食堂のメニューに音符を書き綴りました。
ヘッセはモーツァルトがお好きでしたが、シューベルトはどうかな?
「水面に歌う」が深さのある詩なので行ってみたいのですが、
何分長くて。機会がありましたらね。

No title

こんばんは、ベッラです。
ゲーテは「目の人」といいます。音楽にはあまり才能がなかったような。
でもゲーテの詩は「音楽を含む」ような気がします。

「ヴィルヘルム・マシスター」の中に出てくるミニヨンの詩だって、シューベルトもチャイコフスキーもその美しい詩に魅かれて作曲したし、「野薔薇」は「ファウスト」のヒロインを思い浮かべます。

ゲーテ一生の悔い、それはうら若き純情可憐な乙女を誘惑し、捨てたことです。「糸を紡グレートヘン」もそうですね。あのピアノの伴奏は少女の恋心の悩みをあらわしていて、私はピアノ伴奏にシューベルトの素晴らしい効果を思います。

80歳になっても若い女性に恋をしたというゲーテ、若返っておもいきり美女をくどきたかったことでしょう。あ、これは「ファウスト」だ・・・。

ミルティリさまはドイツ語も堪能なのですね。
このブログを拝読しながら私も音楽が心の中を駆け回ります。
これって本能的、どうしょうもないのです。

この前はシェラザードでしたし・・・。どうしょう・・・。

Re: Alla Bella Signorina Bella

こちらのコメントを見過ごしておりました。
度重なるコメントをどうも有難うございます。
貴重な訪問者です。
ドイツの詩はそのまま音楽になってしまうような
韻律がありますよね。
イタリアだと音楽というよりも、朗誦風で、
舞台劇に相応しいですね。イタリア人は声帯が強いから
劇を見ていても圧倒されます。でも昨今は
ダイエットする人が多いので。

ベッラさんはご存知と思います、ゲーテの「イタリア紀行」
ワーグナーもそうですが、ほんに沢山の人達が
イタリアに憧れたのですね。
ミニョンはいいですね。ゲーテの詩でモーツァルト作曲の、
ベッラさんご存知の「すみれ」好きです。
モーツァルトのお蔭という気がしますけどもね、、、

ベッラさんは音楽通を通り越して、本当に沢山のことを
ご存知ですね。
アントニエッタ・ステッラはPerginaペルージャ出身の歌手ですね。
私のマエストロもペルージャ出身の故レナート・エルコラー二でした。
これ書いてると長くなるから、今度、記事の欄に書きますね。

Comprimario(脇役)のテノールでしたが、多くの歌手と
共演した人で、大変背が低かったけれども、なかなか
人間味溢れる人でした。

時間がある限りべっラさんの所にお邪魔に行きますね。
ベッラさんはピンクが似合いそうな雰囲気ですね。
それでは美しい戦士のベッラさんへ。

No title

こんにちは、ベッラです。
ミルティリ様の恩師であるエルコラーニ先生は、カラヤンの「ばらの騎士」に出演されていましたね。
イタリア人でドイツ語が上手いのはエルコラーニとバスのトッツイ、
トッツイはワーグナーの「マイスタージンガー」で仰天しました。
こんなに歌え演じられ、また人間味あふれるバスなんて、ドイツにも
どこにもいません。

イタリア人歌手がドイツオペラを歌うのは、タッデイやテバルディ、ステッラでもイタリア語訳でしたから。
デル・モナコ先生はドイツ語が得意でしたが、イタリア風に長く伸ばすのはジークムントはともかく、他には向きませんでした。

エルコラーニ先生はかなりの演技達者でもあり、印象深い方です。
あのころの歌手はいまよりずっと素晴らしかったですね。

ソプラノのユリナッチも好きでした。
彼女は確かイタリアのバリトン、セスト・ブルスカンティーニ夫人でしたね。先年亡くなりましたが、美声と美貌の名歌手でした。

カラヤン指揮の「ドン・カルロ」での王妃エリザベッタは、あの美しいシミオナートのエボーリ公女と神々しいまでの歌の戦いでした。

エントリを楽しみに待っております。

Re: Alla Bella Signorina Bella

ご訪問を有難うございます。
シミオナートもユリナッチも、トッツィも
本物舞台では観なかったのですが、タッデイは
オペラではないけれど、ペルージャ、モラッキ歌劇場で
「愛の妙薬」からアディナとの2重唱を聴いたことがあります。
本当に古き佳き時代でしたね。
ユリナッチは美人で可愛い!ですね。

ときにシェラザードは、これも書いていると長くなりますので
そのうちに記事欄で書こうかな、と思っています。
シャリアーリ王は残虐な人間だと思っていたのですが、
利権のために人を殺めるのではない、妃に裏切られた為、
いわば愛のために、と考えると純粋な人だったのかとも
思います。
現れたるシェラザード、
シェラザードは何気にベッラさんと似ています。

東京へ赴き京都までお出になりと、とてもお忙しそうですが、
お疲れにならないように、
麗しの戦士は充分に休息もお取り下さい。
Secre

プロフィール

ミルティリおばさん

Author:ミルティリおばさん
住まいはイタリア、ペルージャです。
翻訳 フリーランサーです。

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