2021.05.10
Mamma Lucia マンマ・ルチーア
ナポリの南に位置するサレルノの近郊、
カーヴァ・デ・ティレーニの、
1人の女性の慈悲と惻隠のお話です。
女性の名はルチーア・ピサーピア、、
彼女はマンマ・ルチーアと呼ばれます。
第二次世界大戦が、今や終わろうとする頃の1943年、
容赦なく降りかかる米軍のB24の爆撃によって、ドイツの
ヘルマンゲーリング部隊は多数の兵士が死に至り、
町は破壊され、
生き残った部隊は死んだ仲間を放置して
退去してしまいました。
無数のドイツの若者たちが、列をなして死に行くのを
目の当たりにしたマンマ・ルチーアは、
「敗戦を超えるのは人間性だ」と解し、
埋葬を決意します。
戦争に散った700人の遺体を身元確認し、
何百もの個人の持ち物を取り戻しました。
フランチェスコ三次修道会のコースを修了していた彼女は、
埋葬されていない遺体を尊びながら、
ヘルメット、長靴、破れた軍服を遺体と共に
固定釘で埋葬の準備を始めました。
彼女は連合司令部に手紙を書きます。
「身元が分からない遺体の埋葬を許可して欲しい」。
司令部は、しかし「埋葬は市の役割だ」、との返事。
ルチーアは諦めることなく、カーヴァの市長に頼み込み、
サレルノ知事に願い出ました。そうして知事から許可が下り、
2人の墓掘り人夫が充てがわれました。
ルチーアが埋葬したのは、ドイツ人ばかりでなく、
アングロアメリカ人、マロッコ人、ポーランド人もいました。
ルチーアはただ1人で遺体の配慮、埋葬をしたのです。
彼女は軍服や国旗を目に止めませんでした。
1951年、イタリアの法律が変わりました。
戦争期間に亡くなった兵士と民間人の遺体の
人口調査と配置のための対策がなされるようになりました。
“Il Mattino” “L’Osservatore” “Il Corriere della sera”
といった大手新聞、ドイツの定期刊行誌によって、
彼女の活動は、すぐに人々に知られるところとなり、
ニュースが世界を駆け巡りました。
ローマ法王、ピオXII世から銀のメダルが贈られ、
また、ドイツ伍長の遺体を発見したところにより、
ドイツ連邦共和国から功労賞グランデクロスが贈られました。
1959年にはイタリア共和国から共和国総帥名誉賞が付与され、
彼女はサレルノ名誉市民となりました。
ジュゼッペ・マロッタが「母たち」というエッセイを収集し、
その中で彼女をこう描写しています。
「勇気ある女性、彼女はハイブリッドだ」。
(ハイブリッドというのは車に関してよく使われる言葉ですが、
この場合、ジェネラリスト、
様々な分野の知識や能力を持った人ということでしょう)
マロッタは、また「人々は、彼女の寡黙で慎ましい、謙虚で無垢な性情と
庶民としての判断に打たれたのでしょう」
「無邪気さ、飾り気のない純粋さ、そして厳格さ、類ない戦術、
出来事の整理の仕方の素晴らしさ」、
「夫の内気な干渉を拒否し、しかし彼女はいつもは柔和で、
そして誇りがありました」。
1982年、マンマ・ルチーアは天に召されました。享年95歳でした。
ニュースを聞いた、時の大統領、サンドロ・ペルティーニは
カーヴァ市長への手紙の中で、
「愛と連体認識の価値感は人間形成の基本だということを
知らしめた、マンマ・ルチーアの逝去の痛みに打たれました」
マンマ・ルチーアで連想しますのは、
「カヴァレリア・ルスティカーナ」に登場する
マンマ・ルチーアです。
トゥリドゥの母親で、村人たちから、
「マンマ・ルチーア」と呼ばれています。
居酒屋さんの女将でドラマの中心人物です。
このドラマも戦争が引き金となっています。
ベルガの原作では、
サントゥッツァは脇役というほどでもない役柄なのですが、
オペラでは変えられてしまいましたね。
第二次世界大戦後にイタリアの婦人たちが、
「サントゥッツァと共に涙した」という、
頻繫に耳にしないまでも、戦後、
時折あった話ではあったのでしょう。
Tenore BENIAMINO GIGLI - Cavalleria rusticana - Mamma, quel vino è generoso - (1919)
マンマ、いい葡萄酒に酔わされた
カーヴァ・デ・ティレーニの、
1人の女性の慈悲と惻隠のお話です。
女性の名はルチーア・ピサーピア、、
彼女はマンマ・ルチーアと呼ばれます。
第二次世界大戦が、今や終わろうとする頃の1943年、
容赦なく降りかかる米軍のB24の爆撃によって、ドイツの
ヘルマンゲーリング部隊は多数の兵士が死に至り、
町は破壊され、
生き残った部隊は死んだ仲間を放置して
退去してしまいました。
無数のドイツの若者たちが、列をなして死に行くのを
目の当たりにしたマンマ・ルチーアは、
「敗戦を超えるのは人間性だ」と解し、
埋葬を決意します。
戦争に散った700人の遺体を身元確認し、
何百もの個人の持ち物を取り戻しました。
フランチェスコ三次修道会のコースを修了していた彼女は、
埋葬されていない遺体を尊びながら、
ヘルメット、長靴、破れた軍服を遺体と共に
固定釘で埋葬の準備を始めました。
彼女は連合司令部に手紙を書きます。
「身元が分からない遺体の埋葬を許可して欲しい」。
司令部は、しかし「埋葬は市の役割だ」、との返事。
ルチーアは諦めることなく、カーヴァの市長に頼み込み、
サレルノ知事に願い出ました。そうして知事から許可が下り、
2人の墓掘り人夫が充てがわれました。
ルチーアが埋葬したのは、ドイツ人ばかりでなく、
アングロアメリカ人、マロッコ人、ポーランド人もいました。
ルチーアはただ1人で遺体の配慮、埋葬をしたのです。
彼女は軍服や国旗を目に止めませんでした。
1951年、イタリアの法律が変わりました。
戦争期間に亡くなった兵士と民間人の遺体の
人口調査と配置のための対策がなされるようになりました。
“Il Mattino” “L’Osservatore” “Il Corriere della sera”
といった大手新聞、ドイツの定期刊行誌によって、
彼女の活動は、すぐに人々に知られるところとなり、
ニュースが世界を駆け巡りました。
ローマ法王、ピオXII世から銀のメダルが贈られ、
また、ドイツ伍長の遺体を発見したところにより、
ドイツ連邦共和国から功労賞グランデクロスが贈られました。
1959年にはイタリア共和国から共和国総帥名誉賞が付与され、
彼女はサレルノ名誉市民となりました。
ジュゼッペ・マロッタが「母たち」というエッセイを収集し、
その中で彼女をこう描写しています。
「勇気ある女性、彼女はハイブリッドだ」。
(ハイブリッドというのは車に関してよく使われる言葉ですが、
この場合、ジェネラリスト、
様々な分野の知識や能力を持った人ということでしょう)
マロッタは、また「人々は、彼女の寡黙で慎ましい、謙虚で無垢な性情と
庶民としての判断に打たれたのでしょう」
「無邪気さ、飾り気のない純粋さ、そして厳格さ、類ない戦術、
出来事の整理の仕方の素晴らしさ」、
「夫の内気な干渉を拒否し、しかし彼女はいつもは柔和で、
そして誇りがありました」。
1982年、マンマ・ルチーアは天に召されました。享年95歳でした。
ニュースを聞いた、時の大統領、サンドロ・ペルティーニは
カーヴァ市長への手紙の中で、
「愛と連体認識の価値感は人間形成の基本だということを
知らしめた、マンマ・ルチーアの逝去の痛みに打たれました」
マンマ・ルチーアで連想しますのは、
「カヴァレリア・ルスティカーナ」に登場する
マンマ・ルチーアです。
トゥリドゥの母親で、村人たちから、
「マンマ・ルチーア」と呼ばれています。
居酒屋さんの女将でドラマの中心人物です。
このドラマも戦争が引き金となっています。
ベルガの原作では、
サントゥッツァは脇役というほどでもない役柄なのですが、
オペラでは変えられてしまいましたね。
第二次世界大戦後にイタリアの婦人たちが、
「サントゥッツァと共に涙した」という、
頻繫に耳にしないまでも、戦後、
時折あった話ではあったのでしょう。
Tenore BENIAMINO GIGLI - Cavalleria rusticana - Mamma, quel vino è generoso - (1919)
マンマ、いい葡萄酒に酔わされた

Guten Abend,
お母さんたちの、うちの子他所の子を超えた
愛情ある話は聞きます。
でもマンマ・ルチーアのした行いはスケールが、
違いますね!
うちの子他所の子、以上に戦争を超えた話だと
思います。
これが戦場に我が子を送り出した、
全てのお母さんの気持ちと思います。
ルチーア夫人には子供がいたのかどうか分かりません。
でも、国旗や軍服で人間を区別しなかった彼女は、
日本人であったとしても、褒賞、メダル授与なみです。
今の日本の、ワクチンも行き届かない
チンタラ状態では、こういう話には、ほど遠いでしょうけれど。
愛情ある話は聞きます。
でもマンマ・ルチーアのした行いはスケールが、
違いますね!
うちの子他所の子、以上に戦争を超えた話だと
思います。
これが戦場に我が子を送り出した、
全てのお母さんの気持ちと思います。
ルチーア夫人には子供がいたのかどうか分かりません。
でも、国旗や軍服で人間を区別しなかった彼女は、
日本人であったとしても、褒賞、メダル授与なみです。
今の日本の、ワクチンも行き届かない
チンタラ状態では、こういう話には、ほど遠いでしょうけれど。
Flügel さん、
コメントをどうも有り難うございます。
第二次世界大戦中に、日本の若者たちは、
命の炎が尽きる前に「お母さん!」と叫んで
亡くなって行ったそうです。
「天皇陛下万歳!」とも言ったそうですが、
こちらは私にはちょっと疑わしいです。
疑わしいし、本当のことならば、
天皇陛下の責任は重かつ大。
私なら夜も眠れないほどに憔悴しますけれど。
特攻隊員を見送った母の思いは如何ばかり。
「御国のため」と諦めて誇らしく思っていたのでしょうか。
こうしたことを書いていると、色々なことに、
思いが繋がって連想が増します。
ひと言、言わせてもらえば、
まだ、五輪に執着している。狂ってますね。
このまま、開催するのであれば、
私は日本人であることに大恥を感じます。
ルチーア・ピサーピアは八百屋さんを営んでいた人で
彼女には息子さんが2人います。
第二次世界大戦中に、日本の若者たちは、
命の炎が尽きる前に「お母さん!」と叫んで
亡くなって行ったそうです。
「天皇陛下万歳!」とも言ったそうですが、
こちらは私にはちょっと疑わしいです。
疑わしいし、本当のことならば、
天皇陛下の責任は重かつ大。
私なら夜も眠れないほどに憔悴しますけれど。
特攻隊員を見送った母の思いは如何ばかり。
「御国のため」と諦めて誇らしく思っていたのでしょうか。
こうしたことを書いていると、色々なことに、
思いが繋がって連想が増します。
ひと言、言わせてもらえば、
まだ、五輪に執着している。狂ってますね。
このまま、開催するのであれば、
私は日本人であることに大恥を感じます。
ルチーア・ピサーピアは八百屋さんを営んでいた人で
彼女には息子さんが2人います。
大本営発表
大本営時代と現代とでは類似している。
ミッドウェー海戦では、日本の勝利と言い放ち、
撤退を転進と宣った。
朝日新聞は軍部への追従から率先して
国民を騙す報道をした。これはよく知っていることだろう。
程よい段階で止めときゃいいのに、
なんであんなに戦争に固執したものか。
早い段階で手を打って止めれば、
何百万人も死なせずに済んだんだ。
大本営は最高の統帥機関で、
陸海軍のエリートが集められていた。
発表は幾重ものチェックを経ていて、
嘘がばれれば国民の信頼を失い、
戦争遂行が難しくなることも分かっていた。
大本営発表は改竄と隠蔽と捏造を奨励する
戦争だったのだ。
現代は、かの戦争時と酷似している。
嘘と出鱈目のみの発表は、今でも
あてにならない当局に都合のいい発表である。
これを洞察できる日本人は何人いるのか。
「空気を読むことがすべて悪いわけではないが、
日本には他国以上に空気を読む文化がある。
だからこそ、特に公権力を持つ組織では、
他国以上に権力集中に歯止めを設ける仕組みが
必要ではないか」と、
こう指摘するのは、ある評論家の言葉である。
ミッドウェー海戦では、日本の勝利と言い放ち、
撤退を転進と宣った。
朝日新聞は軍部への追従から率先して
国民を騙す報道をした。これはよく知っていることだろう。
程よい段階で止めときゃいいのに、
なんであんなに戦争に固執したものか。
早い段階で手を打って止めれば、
何百万人も死なせずに済んだんだ。
大本営は最高の統帥機関で、
陸海軍のエリートが集められていた。
発表は幾重ものチェックを経ていて、
嘘がばれれば国民の信頼を失い、
戦争遂行が難しくなることも分かっていた。
大本営発表は改竄と隠蔽と捏造を奨励する
戦争だったのだ。
現代は、かの戦争時と酷似している。
嘘と出鱈目のみの発表は、今でも
あてにならない当局に都合のいい発表である。
これを洞察できる日本人は何人いるのか。
「空気を読むことがすべて悪いわけではないが、
日本には他国以上に空気を読む文化がある。
だからこそ、特に公権力を持つ組織では、
他国以上に権力集中に歯止めを設ける仕組みが
必要ではないか」と、
こう指摘するのは、ある評論家の言葉である。
いうなれば詐欺
水増しと隠蔽の軍部だった。
日本の構造は今でも変わらない。
野党があれだけ騒いでも、
国民は、まるで政治には興味がない。
おばさんと同様に私も、日本人であることを
大いに恥じ入りたいところだ。
日本人は自分の国をスゴイと自画自賛して悦に入ってるだけだ。
現首相はダメだ。見ていて痛々しい。
ああいった年寄り半ボケ老人には、もう国会質疑は無理だ。
若者と交替せよと思えども、小泉のような輩じゃな。
2個のようつべをよく見てください。
まん延防止措置「本当の目的」山本太郎&田村智子
山本太郎は見通していた「なぜ東京五輪に反対したのか
山本太郎は正論だ。
日本の構造は今でも変わらない。
野党があれだけ騒いでも、
国民は、まるで政治には興味がない。
おばさんと同様に私も、日本人であることを
大いに恥じ入りたいところだ。
日本人は自分の国をスゴイと自画自賛して悦に入ってるだけだ。
現首相はダメだ。見ていて痛々しい。
ああいった年寄り半ボケ老人には、もう国会質疑は無理だ。
若者と交替せよと思えども、小泉のような輩じゃな。
2個のようつべをよく見てください。
まん延防止措置「本当の目的」山本太郎&田村智子
山本太郎は見通していた「なぜ東京五輪に反対したのか
山本太郎は正論だ。
こんちわ土曜日
⦅コロナ禍で分断された人々の間に絆を取り戻す大きな意義がある。国籍、人種を問わず、同じフィールドの上で、同じルールで競技を行い、特別な努力をしたそれぞれのアスリートが真剣勝負を繰り広げ、その後に努力を称え合う姿は、必ず人々にお互いを許し合い、喜びを分かち合う思いを取り戻してくれる。この東京大会は世界中の人々が新たな光を見出すきっかけになる⦆
オソロシクずれたことを宣わっているのは、
丸川珠代だ。本当に大学出たのか。
莫迦言ってんじゃねーよ。
今がどんな時期か分かっているのか、
金の亡者どもめ!
反して宇都宮健児は、
「五輪にあてる財源を生活困窮者支援に」と。
どっちが聡明で健全な日本人か、
良識者なら即わかるだろう。
この期に及んで左翼だ右翼だと、
莫迦言ってんじゃねえ!!
オソロシクずれたことを宣わっているのは、
丸川珠代だ。本当に大学出たのか。
莫迦言ってんじゃねーよ。
今がどんな時期か分かっているのか、
金の亡者どもめ!
反して宇都宮健児は、
「五輪にあてる財源を生活困窮者支援に」と。
どっちが聡明で健全な日本人か、
良識者なら即わかるだろう。
この期に及んで左翼だ右翼だと、
莫迦言ってんじゃねえ!!
こんちは日曜日
コメントをどうも有り難うございます、
銭形の勘次さん、大岡どの、
遠山の金七さん、
ご紹介の動画を見ました。
山本太郎さんはいつもながらのぶれない正論、
田村智子さんも、いつもの素晴らしい切れ味ですね。
思い出すのは、山尾志桜里さん、1年ぐらい前には
立憲民主党に在籍していて、
黒田検事長定年延長に関して、
切れ味鋭い質疑をしていました。と思っているうちに、
突然、政党をくら替えして、
全く別の質疑を始めましたね。
こういうぶれるかたの考えは訳が分かりません。
保身と選挙のための政治屋をなさっているのでしょうね。
もと女性検事さんで、流石だな、と思ったりしましたが、
何分、ガソリーヌなんて渾名も付いたぐらいですものね。
共産党の方々の質疑は決してぶれません。
社民党の舌鋒鋭い福島瑞穂さん、ぶれませんね。
何よりも、ぶれない人、大好きです。信頼できます!
動画をUpいたしますね。
国民を守るのに、国を守るのに、
右も左もありません。
銭形の勘次さん、大岡どの、
遠山の金七さん、
ご紹介の動画を見ました。
山本太郎さんはいつもながらのぶれない正論、
田村智子さんも、いつもの素晴らしい切れ味ですね。
思い出すのは、山尾志桜里さん、1年ぐらい前には
立憲民主党に在籍していて、
黒田検事長定年延長に関して、
切れ味鋭い質疑をしていました。と思っているうちに、
突然、政党をくら替えして、
全く別の質疑を始めましたね。
こういうぶれるかたの考えは訳が分かりません。
保身と選挙のための政治屋をなさっているのでしょうね。
もと女性検事さんで、流石だな、と思ったりしましたが、
何分、ガソリーヌなんて渾名も付いたぐらいですものね。
共産党の方々の質疑は決してぶれません。
社民党の舌鋒鋭い福島瑞穂さん、ぶれませんね。
何よりも、ぶれない人、大好きです。信頼できます!
動画をUpいたしますね。
国民を守るのに、国を守るのに、
右も左もありません。